開会式で復活を遂げたセリーヌ・ディオンの息子、レネ・チャールズ・アンジェリルの知られざるいま
全身の硬直を伴う珍しい病気、「スティッフパーソン症候群」に苦しんでいるセリーヌ・ディオン。そんな彼女の闘病生活を追ったドキュメンタリー『アイ・アム セリーヌ・ディオン ~病との闘いの中で~』がアマゾン・プライムで配信された。それに合わせて、これまであまり表に姿を現さなかった息子レネ・チャールズ・アンジェリル(23歳)がニューヨークに現れる一幕があった。
実は、レネ・チャールズは2024年2月のグラミー賞授賞式にもセリーヌ・ディオンとともに出席していた。ふたりは一緒にテイラー・スウィフトに賞を贈る役を担ったのだ。不仲説もあった親子だが、そこでみられたのは母親を無条件で支える23歳の息子という、美しい親子愛にあふれた姿だった。
レネ・チャールズはセリーヌ・ディオンがカナダの音楽プロデューサー、レネ・アンジェリルとの間にもうけた第一子であり、生まれたときからメディアの注目を浴びてきた。生まれたのは2001年1月25日、アメリカのフロリダで、不妊症治療が実を結んでのことだった。
レネ・チャールズは同世代の他の子供のように学校に行くことはなかった。ディオンに合わせてラスベガスとフロリダを往復する生活だったからで、教育は家庭教師任せだった。
レネ・チャールズは幼い頃からいつもメディアに取り沙汰されていた。特に当時のレネ・チャールズは長髪だったため、その「一風変わった」スタイルがピックアップされることが多かった。
レネ・チャールズはスポーツが大好きで、とくにバスケットボールは自宅にコートを設けて自ら興じるほど。両親と試合観戦に行くこともあり、この写真は2009年12月にマディソン・スクエア・ガーデンで撮られたものだ。ほかにはアイスホッケーも好きなようで、『ヴァニティ・フェア』誌によるとアマチュアユースチームでプレーしていたこともあるとか。
咽頭がんを患っていた父親ルネは2016年1月14日に73歳で亡くなった。レネ・チャールズはその時まだ15歳だった。それでも、葬儀の場では年齢に見合わないしっかりした態度を見せ、こう述べた:「15年という歳月は息子として父のことを知るには十分ではありません。お父さんは忙しかったけど、僕たちは一緒にゴルフやホッケー、ポーカーもしたし、一緒に肉を燻製したり、料理もしましたね」
レネ・チャールズは弔辞で2010年に生まれたふたりの弟、双子のエディーとネルソンについても触れている:「ふたりが大きくなった暁には、お父さんから教わったことをきっと僕がふたりに伝えます。お父さんのことはとても真似できそうにないけれど、お父さんの力があればきっとすべてうまくいくでしょう。パパ、きっと期待に応えてみせると約束します。大好きだよ」
プロデューサーの父と歌手の母の間に生まれたとあれば、レネ・チャールズの将来もほとんど決まっていたようなものだった。そして実際、数年前についに音楽界にデビューを果たしている。ただし、母のスタイルとは大きく異なったジャンルでだ。
2021年にレネ・チャールズは「ビッグ・チップ」という名義でデビュー、SoundCloud上に楽曲を発表した。その後『CasiNo.5』というラップのミニアルバムを発表。歌詞は自作で、Apple Musicで聞くことができる。
画像:@bigtipmusic / Instagram
レネ・チャールズの私生活、とくに交際関係は謎に包まれている。ただし、ラスベガスの高級ホテル「ウィン・ラスベガス」オーナーの娘アンジェリック・ヴェックマンと長年交際していたことは知られている。交際のきっかけはアイススポーツで、先述の通りレネ・チャールズはアイスホッケーをプレーしており、ヴェックマンはフィギュアスケートをしていたのだ。