ジョン・ボン・ジョヴィに衝撃を与えた「父親として最悪の知らせ」とは

伝説的ロックバンド 
積極的な慈善活動
幸せな結婚生活(1989年~)
完璧な男、ジョン・ボン・ジョヴィ?
予想外の出来事
19歳を迎えたステファニー 
想像もしなかった娘の薬物依存
ハミルトンカレッジにて 
最初にしたことは父親への連絡
「今までの人生で最悪の瞬間」
軽犯罪で起訴 
「善きサマリア人の法」
家族の絆 
辛い時期も寛大な父親 
薬物依存を克服して再出発
未来を切り拓く
4人姉弟
ステファニー・ローズ・ボン・ジョヴィ 
伝説的ロックバンド 

アメリカのロックバンド「ボン・ジョヴィ」は40年間にわたり高い人気を維持し、1億3,000万枚以上のCDを売り上げた。リードボーカルを務めるジョン・ボン・ジョヴィはイケメン、髪が後退することもなく、リッチでありながら鼻にかけることもなく寛大な性格で知られている。

 

積極的な慈善活動

さらにジョン・ボン・ジョヴィは音楽活動のかたわらで、困窮者の救済のために設立された「ジョン・ボン・ジョヴィ財団」の運営に尽力している。

幸せな結婚生活(1989年~)

ジョン・ボン・ジョヴィはプライベートも順風満帆だ。高校の同級生だったドロセア・ハーレイと1989年に結婚し、やがて生まれた4人はいずれも愛すべき子どもたちであり、大きな問題を起こすこともなかった。

 

完璧な男、ジョン・ボン・ジョヴィ?

キャリアで大きな成功を収め、プライベートでは理想的な家庭を築いたジョン・ボン・ジョヴィ…… のはずだったのだが……

 

予想外の出来事

ジョン・ボン・ジョヴィは子どもたちにとり気軽に話しかけられる、そして責任感と思いやりのある父親だ。とはいえ、ただ一人の娘であるステファニー・ローズ(1993年生まれ)が薬物依存に陥り、あやうく命を落としかけることを未然に防ぐことはできなかった。

 

19歳を迎えたステファニー 

それは2012年、ステファニーが19歳で大学1年生の時のことだ。ジョン・ボン・ジョヴィは当時を振り返り「父親として最悪な出来事だった」と回想している。

 

想像もしなかった娘の薬物依存

ジョン・ボン・ジョヴィは『ピープル』誌に以下のように語っている:「どんな親でも同じだと思うが、まったく予想もしなかった状況に陥り、驚愕している。ステファニーは成績優秀な素晴らしい娘で、何もかも順調だったのに」

 

ハミルトンカレッジにて 

しかし、ステファニーがハミルトンカレッジの寮で友人と一緒にいたある晩のこと。『ロック・セレブリティー』誌によれば、彼女はきわめて危険な薬物を過剰摂取し、意識を失って床に倒れてしまったのだ。

 

最初にしたことは父親への連絡

病院に緊急搬送されたが、ステファニーはしばらくのあいだ外部刺激にまったく反応しなかった。しかし医師の治療が功を奏し蘇生に成功し、命を繋ぎとめることができた。意識を取り戻したステファニーが最初にしたこと、それは父親に電話をかけることだった。

 

「今までの人生で最悪の瞬間」

ジョン・ボン・ジョヴィは『メトロ』誌のインタビューで、ステファニーからの電話についてこう語っている:

「人生で最悪の瞬間だった。「私は大丈夫よ」という娘の第一声から、その後に何が起きたのかを話してくれた。突然目が覚め、大きな衝撃に身を震わし、もう大丈夫だから家に帰っていいといわれたようなものだった」

 

軽犯罪で起訴 

もちろん家族会議をする必要があったが、その前にステファニーとその友人は違法薬物所持の罪で起訴されてしまった。ステファニーは依存症という問題を抱えていたばかりか、法律も犯してしまったのだ。

 

「善きサマリア人の法」

幸いなことに、ニューヨークには薬物の過剰摂取の影響を受けた者の起訴を禁じる「善きサマリア人の法」という法律があり、ステファニーにも適用された。法的措置を逃れた彼女は、家族とともに問題に向き合うことになった。

 

家族の絆 

ステファニーの両親はメディアに報道を控えるように求めた。娘に恥をかかせなくないという思いはあったが、スキャンダルを隠したいという意図はなかった。さらにジョン・ボン・ジョヴィはこれを学びの機会と受け止め、周りとも共有すべきと考えた。こうした家族と問題に取り組んだことで、解決の道がひらけていった。

 

辛い時期も寛大な父親 

ジョン・ボン・ジョヴィはこうした問題で悩みトラウマを抱えているのが自分だけではないということをよく理解していた。だからこそ、娘の回復を人々に対して可視化し、同じような境遇にいる人たちに希望を与えたいと考えたのだ。

 

薬物依存を克服して再出発

ステファニーは数カ月間にわたり両親のサポートを受け、違法薬物使用を克服することで、薬物依存から完全に脱却することができた。

 

未来を切り拓く

それ以降、ステファニーは米国の映画制作会社「ワインスタイン・カンパニー」でアシスタントを務めたほか、デザイナーNikki Lundのショーでモデルとしてランウェイを歩いたり、ボン・ジョヴィのライブツアーでは父親が彼女に捧げた曲「I Got the Girl」(2000年)でダンスを披露、父娘の共演を果たすなどの活躍を見せた。

 

4人姉弟

ステファニーは4人姉弟の長女で、ロミオ・ジョン、ジェシー、ジェイコブ・ハーレーという3人の弟たちがいる。

ステファニー・ローズ・ボン・ジョヴィ 

現在ステファニーは映画制作アシスタントとして働いており、薬物依存とは無縁の生活を送っている。誰もがハッピーエンディングを手に入れられるとは限らないが、幸いなことにジョン・ボン・ジョヴィ一家の場合は幸せな結末を迎えることができた。

 

 

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