キャリアの成功の陰で:ジョン・トラボルタを襲った悲劇とは?
『グリース』から『パルプ・フィクション』まで数々の名作に出演したジョン・トラボルタ。ハリウッド屈指の愛され俳優として、長年にわたり活躍をしている。しかし、スクリーンにおける華々しい成功とは裏腹に、プライベートでは辛い経験を重ねている。
ジョン・トラボルタは1954年にニュージャージー州で生まれた。22歳で映画デビューを果たし、1977年に映画『サタデー・ナイト・フィーバー』に主演して一躍スターとなる。プライベートでは1991年に米女優ケリー・プレストンと結婚した。
ジョン・トラボルタと妻のケリー・プレストンは1992年に長子のジェットを授かった。ところが、ジェットは幼い頃に深刻な病気を抱えていると判明。
わずか2歳だったジェットに下った診断は川崎病。乳幼児がかかりやすく、全身の動脈に炎症を引き起こすが、詳しい原因はまだ解明されていない。
ジェットはたびたび心臓発作に悩まされてきたが、2009年に見舞われた発作は致命的だった。気を失って転倒し、浴槽に頭を打ち付けてしまったのだ。
当時、ジェットは家族とともにバハマでバカンスを楽しんでいたが、発作ののち搬送先の病院で他界。死亡診断書には死因について「心不全」と記されている。
ジョン・トラボルタがこの事件についてようやく重い口を開いたのは、2016年。息子を失った経験についてオンライン上で「本当に乗り越えられるかどうかわからず、人生に対する興味も失ってしまいました。立ち直るには長い時間がかかりました」とコメントしたのだ。
さらに、「親を亡くすことが一番つらいとよく言われますが、それは正しくありません。子供を喪うほうがもっとつらいのです。日々の成長を見守り、ことばや歩き方を教えた相手、親に愛することを教えてくれた子供がいなくなってしまうというのは、人の身に降りかかる最悪の出来事です。息子はわたしに多くの喜びをもたらしてくれました。わたしのすべてだったのです」と悲しみをあらわにした。
そして、「父になってからの16年間でわたしは無償の愛を学びました。子供たちとはお互いに感謝しなくてはいけません。人生はあまりにも短いのですから。いつか終わりが訪れるからには、毎日を大切にしなくてはならないのです」と締めくくっている。
ジェットが生きていれば30歳を迎えるはずだった2022年、ジョンはInstagram上で亡き息子の思い出を投稿。10年以上が経った今も変わらぬ愛情を抱いていることを示した。
写真:Instagram
しかし、ジョン・トラボルタを襲った悲劇はこれで終わりではなかった。2021年、今度は人生の伴侶だったケリー・プレストンが乳ガンでこの世を去ってしまったのだ。
2年間にわたって闘病を続けていたケリーは、夫のジョンと娘のエラ、息子のベンジャミンに見守られながら自宅で息を引き取ったという。
実は、ジョンのパートナーが乳ガンで他界したのは、これが初めてのケースではない。
映画『プラスチックの中の青春』(1976年)でジョンと共演した女優のダイアナ・ハイランド。この作品がきっかけとなり、2人は恋に落ちるのだが……
ところが、ダイアナは乳ガンを発症。乳房切除術によってこれを克服したかに見えたが、その後、41歳の若さで他界してしまった。
さらに、名作『グリース』(1978年)で共演したオリヴィア・ニュートン=ジョンも2022年に乳ガンでこの世を去ってしまうのだ。
これを受け、ジョン・トラボルタはSNS上に追悼メッセージを投稿:「親愛なるオリヴィアへ。わたしたちの人生をより良いものにしてくれたあなたの影響は計り知れません。寂しくなりますが、そちらでまたお会いしましょう。初めてお会いしたときから友情が途絶えたことはありません。あなたのダニー、あなたのジョンより」