ジャッキー・チェンの軌跡:世界を変えたアクションスター
香港出身の俳優ジャッキー・チェンは、アクション映画界の生きる伝説として多くのファンを魅了している。映画史に変革をもたらしたジャッキー・チェンの栄光と波瀾に満ちた半生をふりかえってゆこう。
香港出身のアクション俳優、ジャッキー・チェンは数多くの名作を世におくりだしハリウッドの生きる伝説となっている。世界各国の人々を体当たり演技で魅了する彼の半生を振り返ってみよう。
ジャッキー・チェンは1954年4月7日に香港で生まれた。ドキュメンタリー映画『失われた龍の系譜 トレース・オブ・ア・ドラゴン』(2003年)によれば、チェンの父親は中国国民党の元スパイで、香港に逃れた後は料理人として働いていた。チェンはそのことを50代になるまで知らなかったという。
チェン、そして香港映画界を代表する俳優のサモ・ハン・キンポ―、ユン・ピョウの子供時代を描いた映画『七小福』(1988年)によれば、チェンは7歳の時から約10年間、香港にある全寮制の京劇学院で演技や武術を学んだ。その間に『大小黄天覇』(1962年)で映画デビューも果たしたという。
「シネマトゥディ」によれば、下積み時代にブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』(1972年)をはじめ、100本以上の作品でスタントマンを務めた。あまりにも多くの作品に出演していたため、自分でも全てを覚えていないという。
『ドランクモンキー 酔拳』(1978年)が、日本でも高い評価をうけ、その後立て続けにチェンの作品が公開されたことでジャッキー・チェンブームが巻き起こった。当時の日本の子供達は、こぞってチェンのカンフーのまねをしていたという。
チェンは1980年以降、主演だけでなく監督も務めるようになった。まだCG技術が発展していない時代だったことから、危険で派手なアクションシーンに体当たりで挑み続けた。そんな彼の作品はアジア圏を中心に次々とヒットを重ね、絶大な人気を博すようになる。
そんなチェンに大きな影響を与えたのは、日本を代表する国際派アクションスターの千葉真一だ。『ケトル』誌によれば、千葉の大ファンであるチェンはデビュー後に日本まで会いに行き、「アクション映画で俳優がスタントマンを使うのはおかしい。自分ですべてができないなら、降りるべきだ」と言われたことに大きな感銘を受けたという。
こうして体を張った危険なアクションシーンにこだわり続けたチェンは、撮影中に幾度となくケガに見舞われた。ときには瀕死の重傷を負うなど、満身創痍で取り組んだ作品もある。
『ケトル』誌によれば、『酔拳』(1978年)の撮影で眉骨を損傷し失明寸前になり、『プロジェクトA』(1983年)で頸椎損傷、『サンダーアーム』(1986年)では木から落下し頭がい骨を骨折、その後遺症で左耳がほぼ聴こえなくなってしまった。他の作品の撮影中にもケガを負っており、鼻は4回の骨折後、すでに鼻骨が砕けてしまっているという。
チェンは『プロジェクトA』(1983年)や『ポリス・ストーリー』(1985年)などの成功により、アジア圏を中心に熱狂的な人気を集めていた。その一方で『バトルクリーク・ブロー』(1980年)でハリウッドデビューを果たすも、当時の米国ではアジア圏ほどの知名度を得ることはできなかった。
チェンがハリウッドで大ブレイクするのは1990年代に入ってからだ。スタンリー・トン監督によるチェン主演の香港映画『レッド・ブロンクス』(1995年)は、アジア映画として史上初めて全米興行収入ランキング1位に輝いた。この成功をきっかけに、米国でもジャッキーフィーバーが始まった。
その後は香港とハリウッドを行き来しながらヒット作を生み出していった。シリーズ化された『ラッシュアワー』(1998年)が世界的なヒットとなったことで、チェンはハリウッドでも押しも押されもせぬ地位を築き上げた。
さらに2015年にはダニエル・リーが監督を務め、チェンが主演、製作、アクション監督を兼務した歴史アドベンチャー大作『ドラゴン・ブレイド』が大きなヒット。それにより同年の『フォーブス』誌の高額俳優ランキングでチェンはロバート・ダウニーJr.に次ぐ世界第2位となった。
下積み時代から数多くの作品でアクションシーンを演じてきたチェンは、「存命中の俳優で最も多くのスタントをこなした人」として、ギネス世界記録を保持している。
また、『ライジング・ドラゴン』(2012年)では監督兼主演を務めただけでなく、製作、脚本、小道具など、計15の役職でクレジットされた。これをうけ「1本の映画で最も多くの役割を担った人」としてもギネス世界記録に認定されている。
世界中でブームを巻き起こしたチェンが、2024年6月に13年ぶりに来日し、主演50周年記念作『ライド・オン』の日本公開に合わせて舞台挨拶を行った。2024年に70代に突入するも精力的に作品を発表し続けているチェン。今後も世界中の人達を魅了しつづけることだろう。