ジェラール・ドパルデューのスキャンダラスな半生:映画界の問題児
栄光とデカダンスは紙一重:名優ジェラール・ドパルデューの半生はそのことを如実に物語っている。最近では、性的暴行で再度訴えられ、捜査対象になってしまったドパルデューだが、放埓な人生を謳歌した彼もついに年貢の納め時ということだろうか?今回はドパルデューのスキャンダラスな半生を振り返ってみよう。
スキャンダラスだが、フランス映画界に伝説を遺したドパルデュー。俳優としての輝かしいキャリアは非の打ち所がない。実際、フランソワ・トリュフォー、ジャン=リュック・ゴダール、アンドレ・テシネ、アラン・レネといった名監督の元で演技を行ってきたのだ。
放埓で怒りっぽく、厄介な男、ドパルデューのしくじりはいつものことだ。女性と高級ワインをこよなく愛する彼はある意味、「人生を謳歌」する往年のフランス男を体現していたわけだ。しかし、物事には限度というものがある。アルコール依存、一度ならぬ交通事故、スキャンダラスな発言に加え、女性たち(今回は女優のイザベル・ユペール)に対する受け入れがたい仕打ちなど、ドパルデューの失態は明らかに度を越している。
メディアで話題となったスキャンダラスな「武勇伝」は枚挙にいとまがない:2005年にはフィレンツェでパパラッチを打ちのめし、2011年にはパリ発ダブリン行の飛行機内で放尿(乗客は着席しなくてはならなかったのだが飲み過ぎていたドパルデューは我慢できず、愕然とする周囲の乗客をよそに、ボトルに排尿したのだ)、2012年にはパリの街中で運転手を殴ったり…… その上、定期的に警察のお世話になっている。
健康上の不安、特に肥満からくる心臓の問題を抱えているドパルデュー。さらに、これまでに17回もバイク事故に遭いながら、無事に生還している。荒っぽいが、頑丈なのは間違いない。
2018年には、事件当時22歳だった女優がドパルデューに暴行されたと告発。それによれば、8月初旬、舞台の非公式リハーサルの最中に、ドパルデューがパリに所有する住宅の一室で2回暴行が行われたという。しかし、彼の自宅に設置されていた監視カメラの記録を調査した結果、女優の主張とは辻褄があわなかったようだ。
2018年の訴訟に関しては事態を収束させることができたドパルデューだったが、数年後、原告はツイッター上で身元を明かして民事訴訟に持ち込んだ。その結果、パリ検察庁は 2020年8月に捜査の再開を命じた。
この捜査によって、同じ事件で再び司法の場に引き出されたドパルデュー。原告と対峙し、予審判事の審理を受けた後、2022年3月10日木曜日に評決が確定することとなった。
1974年の映画『バルスーズ』以来、俳優として輝かしいキャリアを積み上げてきたドパルデュー。『デイリー・メール』紙の言を借りれば「クラシックのみならずドラマやコメディーまで、さまざまな役で才能を発揮し、輝かしい功績を残した」のがこの男なのだ。セザール賞、カンヌ映画祭男優賞、アカデミー賞ノミネート歴の数々が彼のキャリアを物語っている。
フランスでは『シラノ・ド・ベルジュラック』や『愛と宿命の泉』のはまり役が有名だが、国際的にも『カミーユ・クローデル』での説得力ある演技で世界を魅了したドパルデュー。立て続けにスキャンダルを起こしても、世間には大目に見てもらっていた。そんなドパルデューについて、女優のカトリーヌ・ドヌーヴはこうコメントしている:「人間としては難あり、俳優としては大物」。
ドパルデューの失態はたいてい飲酒にまつわるものだ。2014年には「退屈を紛らわす」ために1日14本のボトルを開けると豪語しているほどだ。また、フランス国内でブドウ園をいくつか運営しており、1989年以来、所有しているメーヌ=エ=ロワール県のティニェ城でワインの製造を開始。ウェブサイト「Dico du Vin」によれば、年間40万本の製造が可能だという。
しかし、ドパルデューはこの情熱のせいで何度もトラブルに見舞われている。酔っ払って人前に現れたり、保護房に入れられたりというだけではない。2004年に娘のジュリーがセザール賞最優秀女優賞を獲得した際には、授賞式の舞台に現れて観客を凍り付かせた。
2010年9月、オーストリアの雑誌『プロフィール』のインタビューでは、女優のジュリエット・ビノシュを批判:「どうして彼女が長年、評価され続けているのか分からない(中略)まったく才能がないじゃないか」と言ったのだ。逆に、女優のファニー・アルダンについては同インタビューで賞賛した:いわく「印象的で偉大な女優だ」
2010年9月、テレビ番組『Le Grand Journal』に出演した際には次のようにコメントした:「政治家たちは役立たずばかりだ。でも、ニコラ・サルコジ(当時の仏大統領)はいいと思う。思い切った政策を実行したからね」
人権侵害で非難を浴びるチェチェン共和国首長、ラムザン・カディロフの36歳の誕生日パーティーに招待されたドパルデュー。パーティーに夢中になり「ラムザン・カディロフ万歳」と叫んだことがスキャンダルに。
税金逃れのためにベルギーに移住して、フランス首相から「情けない奴」呼ばわりされたドパルデュー。怒った彼はフランスのパスポートを突き返して議論を巻き起こした。そして、週刊誌『Le Point』にはこうコメントしている:「税金を払うのは当然だが、自分は正しいと勘違いしているバカどもにやるカネはない」
しかし、それだけではない。 2013年1月にはウラジーミル・プーチン露大統領と面会して手ずからロシアのパスポートを受け取ったばかりか、連邦内のモルドヴィア共和国に邸宅と政府のポストまで用意してもらったのだ。これが大スキャンダルを巻き起こしたことは言うまでもない。
モルドヴィア共和国の首長から大々的な歓迎を受けたジェラール・ドパルデューは当地の伝統的な衣装で登場。ロシアのパスポートをマスコミに見せつけた。もちろん、これを快く思わない人も多かった。
元妻のエリザベートいわく、ドパルデューがフランスを去ったのは「愛されたり、注目されたいから。拒絶されたと感じると挑発的なことをするのよ」。これまでに巻き起こしたスキャンダルの数々を考えると、納得のいく説明だ。
フランスの運転免許は2013年6月に失効したものの、今度はモスクワで交通事故に遭い、危機一髪。最新作の撮影チームとともにミニバスで移動していたところ、タクシーが突っ込んできたのだ。
2017年秋に出版された自著『Monstre(モンスター)』の中では、人類や社会、政治、映画に対するビジョンを語っている。いわく「化け物じみた側面も発散しなくてはならない。さもなくば、私たちが飲み込まれてしまうだろう」。さらに、フランスとの確執については「フランス人であることより自由であること」を選びたいとした。しかし「何もフランスを否定しているわけではない。私は人生を謳歌してきたし、いつだってフランスが大好きだ」と締めくくっている。
また、イタリアのジャーナリストが2016年に行ったインタビューに対してはこうコメントしている:「フランスは外国人のためのディズニーランドと化しつつある。バカな観光客どもがワインやチーズを消費するわけだ。もはや自由などない。コロッと騙される人間しかいない」
ドパルデューには子供が4人いる。最初の妻エリザベート(写真)との間にできたジュリーとギヨーム(2008年没)はともに俳優だ。さらに2人の女性との間にも、それぞれロクサーヌおよびジャンが生まれている。
ドパルデューは常々、女性を「愛している」と言い張っているが、彼の言う愛は独特なのでよく議論の的になっている。実際、キャロル・ブーケとの情熱的で複雑な関係は、10年以上にわたって新聞紙上をにぎわせた。
放埓な人生を謳歌してきたドパルデューだが、困難な経験もしている。息子ギヨームの死だ。父と同じく俳優になることを選択した彼は、同年代でも抜きんでていると評判だったのだ。そんな息子とジェラールの関係は、37歳でギヨームが突然死するまで波乱に満ちていた。右足切断の逆境にもめげずに俳優を続けるギヨームだったが、2008年に肺炎で急逝したのだ。確執のあった息子とはいえ、ジェラールもこれにはショックを受けたようだ。
息子を亡くしたことはジェラール・ドパルデューに深い傷跡を残した。2010年4月、ギヨームの死についてジャーナリストに尋ねられたドパルデューは質問者を罵倒した。
作家兼脚本家のカリーヌ・シラとの間に生まれた娘、ロクサーヌは父から遠慮ない物言いを受け継いだようだ。2016年にLGBTであるとカミングアウトした際には「誰にも指図されるつもりはない。私は自由だもの」と述べている。
スキャンダルに事欠かないジェラールだが、可愛い孫のためならなんでもする優しいお祖父さんでもある。そして、そのことを隠そうともしない。教育よりも愛を優先する彼は、必要とあらば軽率な真似だってするという。娘ジュリーは父親と子供たちの関係について、週刊誌『Paris Match』にこうコメントしている:「仲良しです。父は孫の面倒を見たり、食事を準備したり、一緒に遊んだりしています」
数々のスキャンダルで世間を騒がせたジェラール・ドパルデューだが、これまでのところ大問題に発展することはなかった。しかし、映画界にも波及した#MeToo運動をきっかけに、これまでのツケを払うことになるかもしれない。これまでの功績のおかげで事なきを得るのか、それとも?