スーパーモデル、シンディ・クロフォードの過去から現在まで

イリノイ州から世界の舞台へ
キャリアのきっかけ
スーパーモデル世代の幕開け
無名時代はかけもちも
「ベイビー・ジア」
あらゆる雑誌の表紙を飾る
トレードマークは口元のほくろ
ほくろを魅力に変えたシンディ
ノルウェーでポスター撤去
世紀のカップル
二人の出会いは......
有名人としての悩み
映画の大コケ
ランディ・ガーバーとの出会いと結婚
2人の子供に恵まれる
おしどり夫婦
白血病の子どもたちのために
自叙伝『Becoming』
50歳でモデル業から引退
家族でレッドカーペットに
長女カイア・ガーバーの活躍
モデルの娘とポーズ
反抗的な息子、プレスリー
フェイスタトゥー
変わらない美貌
リタッチも少々
スーパーモデルの帰還
インスタグラムでも大人気
永遠のスーパーモデル
イリノイ州から世界の舞台へ

シンディ・クロフォードは1966年2月20日、米国イリノイ州生まれ。80年代から90年代にかけてファッション界に革命を起こしたスーパーモデルの一人だ。30年を経た現在も、シンディ・クロフォードの名は輝きを放っている。

キャリアのきっかけ

意外に知られていないが、シンディ・クロフォードがファッション業界に入ったのはまったくの偶然だった。10代のシンディは大学の奨学金を得て化学を学ぶ予定であり、入学前の夏に資金作りのためにモデルのバイトをしたのだった。それがずっと続くことになるとは思っていなかったに違いない。

スーパーモデル世代の幕開け

モデルとしてデビューしたシンディ・クロフォードは、リンダ・エヴァンジェリスタ、ナオミ・キャンベル、クラウディア・シファーとともに活躍、スーパーモデルの時代を築き上げた。

無名時代はかけもちも

駆け出しのころ、シンディ・クロフォードは畑仕事のかけもちをしていた。シカゴ郊外の小さな町デカルブで育った彼女は、トウモロコシ畑のアルバイトで1日10時間働き、畑の掃除や肥料撒きをしていたのだ。

「ベイビー・ジア」

モデル活動を始めた17歳のシンディは、ディオールなどに愛された伝説のモデル、ジア・カランギによく似ていたことから、「ベイビー・ジア」と呼ばれるように。やがて伝説のジアを上回る存在となっていった。

あらゆる雑誌の表紙を飾る

イリノイ州の畑でアルバイトをしていたシンディ・クロフォードは、史上最も偉大なモデルの一人となり、『ヴォーグ』、『エル』、『アリュール』、『ハーパーズバザー』、『マリ・クレール』等の雑誌に登場。表紙を飾った回数は600を超える。

トレードマークは口元のほくろ

シンディ・クロフォードでもコンプレックスを抱えることがある。セクシーな口元のほくろは学生時代には周りからばかにされ、駆け出しの頃の撮影ではすっかり隠されていた。ほくろの除去も考えたが、母親のすすめで残すことに。

ほくろを魅力に変えたシンディ

最終的に、口元のほくろを露わにした『ヴォーグ』誌が人気を集めたことで、シンディのコンプレックスは克服された。

ノルウェーでポスター撤去

シンディ・クロフォードの人気の高さは、1992年にノルウェー当局が彼女のポスターを通りから撤去させた話にも表れている。ドライバーがポスターに目を奪われ、交通事故の数がなんと3倍になったことが理由だという。世界中の人々を魅了したスーパーモデル、シンディならではの逸話だ。

世紀のカップル

プライベートではハリウッドを代表する俳優リチャード・ギアと交際、90年代で最も有名なカップルとなった。二人の夫婦生活は1991年から1995年まで続いた。

二人の出会いは......

リチャード・ギアとシンディ・クロフォードの出会いは伝説的フォトグラファー、故ハーブ・リッツのホームパーティ。当時シンディ・クロフォードは21歳、リチャード・ギアは38歳という年の差カップルだった。

有名人としての悩み

興味深いことに、彼女をもっとも苛立たせたのはパパラッチでも、気の合わない仕事仲間でもなく、通りで彼女の姿を目にしてこそこそと囁きあう人々だった。「面と向かってハローと言ってくれる方がどんなにいいか」と胸の内を明かしている。

映画の大コケ

スーパーモデルのシンディ・クロフォードにも、ツイていないことはある。映画界への進出がそのひとつで、ヒロインを演じた『フェア・ゲーム』(1995)は『サンフランシスコ・エグザミナー』紙で「今年の最低映画」に評された。制作費5000万ドル、興行収入1100万ドルと大コケを記録。

ランディ・ガーバーとの出会いと結婚

リチャード・ギアとの破局から3年後の1998年、シンディはバーやクラブの経営者として知られるランディ・ガーバーとリゾート地バハマで挙式。ビーチウェディングにはシンプルなワンピースに裸足で現れ、永遠の幸せを手に入れた。

2人の子供に恵まれる

1999年に長男プレスリー、2001年に長女カイアをもうけた。21世紀に入ってからのシンディ・クロフォードは、優美でグラマラスなモデルとしてよりも、気配りのできる母親としての姿がキャッチされている。

おしどり夫婦

シンディ・クロフォードとランディ・ガーバーは現在まで愛を育んでいる。二人の結婚生活は20年以上続いているが、これはエンターテイメント界では驚きに値する記録だ。

白血病の子どもたちのために

ここ20年間、シンディ・クロフォードが公の場に姿を現す機会は限られているが、そのひとつに慈善活動がある。シンディは10歳の時に兄を白血病で亡くしており、小児を中心とする白血病の治療や研究を行う団体への支援に協力しているのだ。

自叙伝『Becoming』

2015年、シンディ・クロフォードは50歳の誕生日を記念して自叙伝『Becoming』を出版。ライフストーリーやスーパーモデル時代のエピソード、そこから得られた教訓を明かしている。100点以上の写真が添えられたこの本はアメリカでベストセラーの一つとなった。

50歳でモデル業から引退

50歳を機にモデル活動について引退を表明。ただし、雑誌の表紙やキャンペーンなどにときどき登場している。

家族でレッドカーペットに

シンディ・クロフォードと夫のランディ・ガーバーは、たびたび子どもたちと一緒にレッドカーペットに登場している。長男プレスリー、長女カイアはそれぞれにモデルとしてキャリアを積みつつあるのだ。

長女カイア・ガーバーの活躍

母親シンディの美貌とカリスマを受け継いだカイア・ガーバーは新世代のファッションアイコンとして、各国のランウェイで成功を収めている。

モデルの娘とポーズ

シンディはトップモデルとして活躍する娘とのショットを投稿することもある。同じキャリアを歩む、仲良し母娘といえそうだ。

Foto: Instagram @cindycrawford

反抗的な息子、プレスリー

息子のプレスリー・ガーバーもモデルとして人気を集めているが、たびたび見せる問題行動が両親の頭痛のタネになっている。

フェイスタトゥー

「misunderstand(誤解している)」というフェイスタトゥーを入れて周囲を驚かせたプレスリー。モデル活動はもちろん演技の仕事にも影響が出ることから、のちにタトゥーを除去。さらに、依存症のリハビリを受けていたことが明らかになった。

変わらない美貌

気紛れな息子を気にかけるシンディ・クロフォードだが、時を経ても変わらぬ美しさと気品をもちつづけている。

リタッチも少々

シンディ・クロフォードは美容にもオープン。ほんの少し外見を修正するためにビタミン注射やボトックスをときどき利用することを明かしている。

スーパーモデルの帰還

2017年9月にはミラノファッションウィークに登場、ヴェルサーチのショーにカーラ・ブルーニ、クラウディア・シファー、ヘレナ・クリステンセン、ナオミ・キャンベルとともに姿を現し、世界中のファンを沸かせた。

インスタグラムでも大人気

シンディ・クロフォードはSNSも積極的に活用している。定期的にプロフィールを更新しては世界のファンを魅了し続けている。

写真:@cindycrawford / Instagram

永遠のスーパーモデル

シンディ・クロフォードのフォロワー数は500万人を超える。インフルエンサーではなくあくまでモデルのシンディとして、永遠に人々の記憶に残ることだろう。

写真:Runway of Paris Fashion Week, Womenswear F/W 2022-2023

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