シルヴェスター・スタローン、75年にわたるサクセス物語
映画『ランボー』と『ロッキー』で主役を演じ、世界的成功を収めたシルヴェスター・スタローン。そんな彼も、もう75歳。そこで今回は、映画界きってのアクションスターのサクセスストーリーを幼年時代までさかのぼって写真で追いかけよう!
(写真:Art Gelinck)
シルヴェスター・スタローンは1946年7月6日、マンハッタンで誕生した。そして、彼の特徴的な唇もこのときに生まれた。分娩を担当した医師が鉗子を不適切に使用したことで神経を傷つけてしまい、生後間もないスタローンの唇やあご、舌の一部に麻痺を残すことになってしまったのだ。
(写真:Instagram @ officialslystallone)
出生時にできた口元の怪我が原因でクラスメイトたちに「シルヴィア」というあだ名をつけられたシルヴェスター。さらには、教師たちにまでぼんやりしていると揶揄された結果、幼いシルヴェスターの自尊心が傷ついたのは言うまでもない。
(写真:Instagram @ officialslystallone)
10代のスタローンはメリーランド州セントメアリーズ郡にあるシャーロットホール・ミリタリーアカデミーに通っていた。写真は「スライ」(シルヴェスターの愛称)が15歳のころのアルバムから。
(写真:Facebook @ Mechanicalsville Volunteer Fire Department、INC)
自信のなさを克服するため、ボディビルと演技の世界に目を向けた若きシルヴェスター・スタローン。写真は、スタローンがニューヨークで俳優の道を志し、様々な機会に挑戦していた1968~69年頃に撮影されたもの。
(写真:Instagram @ officialslystallone)
しかし、ニューヨークで俳優デビューするのは容易ではなかった。生活苦に陥り、バス停でのホームレス生活を余儀なくされたスタローンは、事態を打開するためリスクを承知できわどい映画に出演。 二日間の仕事で手に入れたのは200ドルだった。
しかし、1972年、スライにチャンスが訪れる。友人に誘われて参加した演劇を見に来ていたエージェントにスカウトされたのだ。作品は『ブルックリンの青春』。(ところで、この写真のスタローンは米国のコメディ『フレンズ』のジョーイみたい?)
成功を目指して挑戦を続けるスタローンがスターダムへの切符を手にしたのは1973年。ロバート・アレン・シュニッツァー監督のスリラー映画『レベル』で主役の座を勝ち取ったのだ。
1973年の『レベル』で主役を務めたからといって、いつも主役が回ってくるわけではなかった。しかし、めげずに演技を続けたスライ。『M★A★S★H マッシュ』のような娯楽作品の脇役もこなし、正真正銘の俳優に成長したのだ。写真は『デス・レース2000』で脇役を演じるスタローン。
転機は1976年、映画『ロッキー』と共に訪れた。1975年3月24日に行われたモハメド・アリ対チャック・ウェプナーのボクシング試合を目の当たりにしてインスピレーションを掻き立てられたスタローン。たった3日で『ロッキー』の脚本を書き上げたが、これが彼を大スターの地位に押し上げることに。
鬱屈とした子供時代を過ごした彼にとって、自作の映画が批評家たちの絶賛を浴びたことは大いに喜ばしいことだったに違いない。1977年、『ロッキー』は最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀映画編集賞でアカデミー賞を獲得した。
『ロッキー』で一躍世界的スターになり、人生の頂点を迎えたスタローン。写真はドイツのテレビ司会者兼女優、ペトラ・シュルマンと1978年にドイツで撮影されたもの。
1978年から1999年まで、シルヴェスター・スタローンは俳優として全盛期を迎えていた。『ロッキー』の続編や『ランボー』シリーズなど、数え切れないほどの映画を制作、主演したのだ。
映画ファンからの人気を勝ち取ったスタローンはハリウッドライフを心ゆくまで楽しむことに。写真は70年代後半の授賞式で女優のスーザン・アントンと並ぶスタローン。
『ランボー』シリーズが爆発的人気を誇ったのは80年代。ビデオゲームやコミックにもなったが、スタローン自身はコミックになった『ランボー』を快く思っていなかったという。
1983年に撮影された写真で80年代ルックを披露するスタローン。この年、彼は自分が主演しない作品としては唯一の『ステイン・アライブ』を監督した。ジョン・トラボルタ主演のこの映画は『サタデー・ナイト・フィーバー』の続編として作られたもので、批評家からの評価はさんざんだったが商業レベルでは大成功を収めた。
(写真:Alan Light)
1980年代、スタローンはアクション以外のジャンルにも進出しようと何度か試みている。たとえば、家族愛をテーマにした1987年の『オーバー・ザ・トップ』などだ。しかし、映画ファンが求めているのはアクションヒーロー・スタローンなのだった。
カート・ラッセルと共演したアクション映画『デッドフォール』は『オーバー・ザ・トップ』とは対照的に大成功。
スタローンはアーノルド・シュワルツェネッガーとのライバル関係を隠そうともしない。二人とも80年代を代表するアクションスターなのだから、愛憎半ばするのは当然だろう。ウェブサイト『Page Six』によれば、スタローンは「アーノルドの首を毎日締め付けてやりたかった」と語ったという。
2000年代初頭はスタローンにとって試練の時だった。子供向け映画から『ザ・コンテンダー』のようなリアリティショーまであらゆるチャンスに手を伸ばしたものの、かつての勢いは戻ってこなかった。
しかし、2006年以降、運は再びスライの味方をし始めた。まず、2006年に公開された『ロッキー・ザ・ファイナル』が大成功。
続いて、2008年に公開されたシリーズ第4作で『ランボー』が復活。最新作のタイトルは『ランボー/最後の戦場』で大きな興行収入を挙げた。
(写真:Nicolas Genin - originally posted to Flickr as 66ème Festival de Venise)
『ロッキー・ザ・ファイナル』と『ランボー/最後の戦場』でカムバックを果たし、スターに返り咲いたスタローンはその後も活躍のペースを緩めていない。『エクスペンダブルズ』シリーズや『バレット』、『クリード チャンプを継ぐ男』まで、出演作は枚挙にいとまがない。
映画界だけでなく家庭でも大忙しのスタローン。3人目の妻、ジェニファー・フレイヴィンとの間には3人の娘がおり、スライのInstagramにたびたび登場していた。ところが……
(写真:Instagram @ officialslystallone)
2022年8月、ジェニファー・フレイヴィンがスタローンとの離婚手続きを進めていることが明らかに。セレブ界きってのおしどり夫婦が破局の危機とあって、ひときわ注目を集めることとなった。
しかし、ジェニファーとスタローンは1ヶ月後に離婚申請を取り下げ。『ピープル』誌は、関係者の話として「2人は家庭に戻って、お互い歩み寄ることにしたのです。2人ともとても幸せそうです」と伝えている。一波乱あったものの、家族の絆を再確認することになったようだ。
スライは最近、愛犬たちとの楽しい日々をエンジョイしている。
(写真:Instagram @ officialslystallone)
75歳を迎えたシルヴェスター・スタローンだが、ペースダウンする様子は一向にない。自身の制作会社「バルボア・プロダクション」と共にいくつものプロジェクトを推し進める彼にとって、演技する機会はまだまだたくさんあるのだ。75歳にして歩みを止めないスタローン、今後の活躍に注目だ!
(写真:Instagram @ officialslystallone)