90年代を風靡したスーパーモデル、クラウディア・シファーは今

スーパーモデル、クラウディア・シファー
いじめにあった学生時代
カール・ラガーフェルドのミューズに
90年代のファッションアイコン
『リッチー・リッチ』で映画デビュー
『ラブ・アクチュアリー』(2003年)
失敗に終わったカフェ経営
世界的マジシャンとの交際
映像監督マシュー・ヴォーンとゴールイン
3人の子供を授かる
コレクションモデルから写真モデルへ
家族との生活を優先
思い出を胸にバトンを渡す
映画プロデューサーとして
「クラウディア・ヴォーン」の名で活躍
自伝本を発表
「ロックスターのような日々だった」
あらゆる人々に囲まれて
下着を守るためにスタッフを雇用
落ち着いた家族との暮らし
永遠の憧れ、クラウディア・シファー
スーパーモデル、クラウディア・シファー

クラウディア・シファーの人生を追うことはスーパーモデルの歴史を振り返ることに他ならない。クラウディアは1970年8月25日にドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州に誕生、弁護士を父にもつ恵まれた環境で育った。17歳の時にデュッセルドルフのナイトクラブで有名モデルエージェンシー「メトロポリタン」のエージェントに見出され、トップモデルの伝説が始まった。

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いじめにあった学生時代

クラウディアは学校生活について、成績は悪くなかったが決してクラスの人気者ではなかったと語っている。当時は背が高いことがコンプレックスで、クラスメートにいじめられることもあったという。だが、ファッション界に足を踏み入れたことでクラウディアの運命は大きな変化を迎えた。

カール・ラガーフェルドのミューズに

モデルエージェントに見出されたクラウディア・シファーはドイツの生まれ故郷からパリへと居を移し、著名な写真家ウォルター・チンの撮影でフランス語版『エル』の表紙を飾ってモデルデビューを果たす。トップモデルを目指して活躍を始めたクラウディアはファッション界の巨匠カール・ラガーフェルドからシャネルの顔に抜擢され、世界にその名を知られるようになる。

90年代のファッションアイコン

輝くブロンドに青い瞳をもつ身長180cmのクラウディア・シファーは90年代を通じてもっとも熱望されるモデルの一人となった。GUESS、ヴェルサーチ、ドルチェ&ガッバーナ、ヴァレンティノ、ラルフローレンなどのトップブランドからつねに熱烈なオファーが寄せられていた。

『リッチー・リッチ』で映画デビュー

90年代前半のクラウディアはすでに世界的モデルとなっていたが、さらなる活躍の場を求めたのか演技にも挑戦している。1994年にマコーレー・カルキンと共演した『リッチー・リッチ』がデビュー作となったが、こちらはお世辞にも成功とはいいがたかった。

写真: "Richie Rich" / Warner Bros.

『ラブ・アクチュアリー』(2003年)

その後、2003年に公開された映画『ラブ・アクチュアリー』でも演技を披露。こちらはトップモル、クラウディア・シファー似の女性としてのカメオ出演だった。

失敗に終わったカフェ経営

1995年にはトップモデル仲間のエル・マクファーソン、クリスティ・ターリントン、ナオミ・キャンベルと共にニューヨークにレストラン「ファッション・カフェ」をオープンし、ビジネスの世界にも乗り出した。しかし店の経営状況はあっという間に傾き、1998年に閉店している。

世界的マジシャンとの交際

クラウディア・シファーは私生活でも人々にホットな話題を提供した。23歳のころから世界的マジシャンのデヴィッド・カッパーフィールドと交際をスタート、婚約期間を含めて1993年から1999年までカップルとして過ごした。

映像監督マシュー・ヴォーンとゴールイン

デヴィッド・カッパーフィールドとの破局後、クラウディアの前に新たな男性が登場。イギリス出身の監督兼プロデューサー、マシュー・ヴォーンだ。二人は2000年に交際をスタート、順調に愛を育み2002年にイギリスのサフォークで結婚式を挙げている。このときクラウディア・シファーは32歳になっていた。

3人の子供を授かる

クラウディア・シファーとマシュー・ヴォーンの間には2003年1月に第1子キャスパー・マシューが誕生。翌年11月に長女クレメンティン、そして2014年5月に次女のコジマ・バイオレットが生まれている。

 

コレクションモデルから写真モデルへ

やがてランウェイから引退したクラウディア・シファーは写真モデルとして活躍の場を広げ、MANGO、シャネル、GUESSといった有名ブランドとコラボレーションを実現。

家族との生活を優先

クラウディアは2010年頃からいっそうスポットライトから遠ざかっていく。夫と3人の子供たちとの暮らしやファッション以外のプロジェクトを優先させるべく、ロンドンから車で2時間半の距離にあるサフォークの邸宅に移り住んでいたのだ。モデルの仕事については若い世代にバトンを引き継いでいる。

思い出を胸にバトンを渡す

クラウディア・シファーはイギリス版『エル』誌のインタビューを通じてこう語っている:「私はこれまで数多くの素晴らしい賛辞を受けてきました。どれも素敵な思い出ですが、いつか次の世代にバトンを渡すときが訪れるものです。それは自然なことであり、妬みを感じる必要はありません」

映画プロデューサーとして

ここ数年、クラウディア・シファーは写真撮影に情熱を傾ける一方、陶芸や映画といった新たな分野のプロジェクトに関心を示している。そして、今度は女優ではなく映画プロデューサーとして作品を世に送り出しているようだ。

「クラウディア・ヴォーン」の名で活躍

クラウディア・シファーは夫とともに『キングスマン』や『ロケットマン』といった映画に出資、映画プロデューサーとして「クラウディア・ヴォーン」の名で活躍している。

自伝本を発表

2017年、ファッション界における自身の長いキャリアをたどる何百枚もの写真が掲載された自伝本、『クラウディア・シファー』を発表。

「ロックスターのような日々だった」

スーパーモデルとして世界中を飛び回った90年代から30年が過ぎた。クラウディア・シファーは『エル』誌に対し、「(当時は)まるで狂気の沙汰で...... ロックスターのような日々でした」と語っている。

あらゆる人々に囲まれて

「だれかに人混みをかき分けてもらわなければ、自分の車に乗り込むこともできませんでした。ファッションショーではモデル用のテントに穴を開けて、私たちの写真を撮ろうとする人がいたほどです」と述懐。

下着を守るためにスタッフを雇用

クラウディア・シファーにはつねにボディーガードがついていたが、それ以外に警備員を雇わねばらないほどだった...... 下着を守るために!「ランウェイから楽屋に戻ってくると下着が消え去っているのです。ブラジャーもパンティも何もかもね」

 

落ち着いた家族との暮らし

現在、クラウディア・シファーはロンドンから離れた郊外の邸宅で家族と暮らしている。ソーシャルメディアのアカウントに子供たちの写真やかつての写真などを頻繁に投稿しているが、夫婦どちらもスポットライトから距離をおくことを好み、仕事とは別にプライベートアカウントを作っているという。

永遠の憧れ、クラウディア・シファー

最近はすっかり公の場から遠ざかっているようにみえるが、映画のクレジットなどを通じて彼女の充実した活躍ぶりを確かめることができる。90年代に世界を虜にしたクラウディア・シファーのさらなるプロジェクトに期待したい。

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