80年代を席巻した米女優キャスリーン・ターナー:突然の不運を乗り越えて活躍
80年代を代表する女優、キャスリーン・ターナー。エネルギッシュで奔放なキャラクターを演じた時の彼女は圧倒的なカリスマや才能を帯びており、まさに一時代を築いたと言えるだろう。
そんな彼女がハリウッドでブレイクするきっかけとなったのは1981年の映画『白いドレスの女』だ。ターナーは裕福なビジネスマンと結婚した魅力的な女性、マティ・ウォーカーを演じている。
それから、マイケル・ダグラス主演のブラックコメディ映画『ローズ家の戦争』(1989)も忘れられない。本作でもターナーの才能が存分に発揮されている。
この時期にはほかにも『ロマンシング・ストーン 秘宝の谷』(1984)や『女と男の名誉』(1985)などのヒット作に出演。ターナーはこの二作でゴールデングローブ賞主演女優賞を獲得している。
さらに、1986年の『ペギー・スーの結婚』ではアカデミー主演女優賞にもノミネートされた。
だが、こういった華々しいキャリアの背後には、私生活における大変な苦労が隠されていた。
1992年、ターナーは関節リウマチの診断を受ける。免疫の異常によって関節に炎症や腫れが生じてしまう自己免疫疾患で、日常生活に多大な影響がでてしまう病気だ。以来、ターナーは長きにわたる苦しい闘病生活に入ることになる。
関節リウマチの診断を受けた時、ターナーはまだ39歳という働き盛りの年齢だった。『ハフィントンポスト』によると、一部の医師からは今後一生車椅子生活になるとも言われたという。
ターナーは激しい痛みに日々苦しめられた。歩いたり、水の入ったコップを持ったりという日常的な動作のひとつひとつが多大な苦しみを伴うものになったのだ。
ターナーが最初に体の異変に気付いたのは映画の撮影中のことだった。最初は足を挫いただけだと思っていたのだが、数日後に痛みが再発、しかも今度は左腕の肘から先にも痛みが出た。
当初は医師も原因がわからなかったという。複数の専門家に診てもらったが、反復性の脱臼や多発性硬化症など診断は一致しなかった。追加の検査を行った結果、最終的に関節リウマチの診断が確定。ともあれ原因がわかったことでターナーも多少は前向きな気持ちになれたようだ。
絶望的とも思える診断を受けたターナーだったがそこは持ち前の強さを発揮して、ただ茫然と病気や車椅子生活を受け入れることは拒否。必死で治療法やサポートを探して、痛みを抑えつつ女優としてのキャリアを継続しようと模索した。
だが、その間にも病状は悪化、一時はベッドから起き上がることもままならないほどにまでなったという。
困難は肉体的な苦痛にとどまらなかった。ターナーはキャリアの継続のために病気を秘密にしていたのだが、それが原因でタブロイド紙の悪意ある報道にさらされることになってしまったのだ。
『ハフィントンポスト』によると、当時ターナーは雑誌からアルコール依存症の疑いをかけられ、自分の人生を終わらせようとしているとすら描かれたという。だが、ターナーは自分が障害を抱えていると思われるよりは依存症と言われた方がましだと考えて、こういった報道を一笑に付していたという。
先の見えない状態でもがいていたターナーだったが、医師から提案された新たな治療法に希望を見出すことになる。『Today』誌によると、それまでの30年間、ターナーは厄介な副作用を伴うステロイド剤を大量に投与されていたのだという。
セラピーや体操、水泳、そしてなによりも自らの強靭な意志の力で、ターナーは関節リウマチの症状をコントロールすることに成功した。
こうして、ターナーはその演技も人格もともに尊敬される、エンタメ界の星となった。現在、ターナーは関節炎財団のアンバサダーに就いているほか、プランド・ペアレントフッドやチャイルド・ホープUSAなどの広報も務めている。