キアヌ・リーブス:ドラマチックな半生と新たな旅立ち
2023年3月、アクションサスペンス映画『ジョン・ウィック』シリーズ第4弾となる『ジョン・ウィック:コンセクエンス』がついにリリース。日本でも同年9月に上映がスタートした。
さらに、2022年12月には同作のプロモーションのためサンパウロを訪問。今やハリウッドの大御所として知られるキアヌ・リーブスですが、実は過酷な運命に翻弄された過去があります。そこで、今回は名優キアヌの劇的な半生を振り返ってみましょう。
キアヌ・リーブスはレバノンの首都ベイルートで1964年9月2日に誕生しました。イギリス人の母パトリシア・テイラーと中国系ハワイアンの父サミュエル・ノーリン・リーブス・ジュニアが出会ったのがこの街でした。
しかし、キアヌがわずか3歳のとき、父サミュエルは家族を捨てて出て行ってしまいました。
それ以来、母パトリシアはファッションデザイナーとして働き始め、一家はハワイ、オーストラリア、ニューヨーク、カナダを転々としました。
キアヌ・リーブスは少年期から思春期にかけて、たびかさなる引越しで転校に次ぐ転校を余儀なくされました。
しかもキアヌは失読症を患っており、学校生活には困難が付きまといました。
キアヌ・リーブスが学業で抜きんでることはありませんでしたが、トロントのデ・ラ・サール大学ではアイスホッケー選手として輝かしい活躍を見せました。
しかし、アイスホッケーのカナダチームでプロになるという夢は、選手生命を脅かす大けがによって絶たれてしまいます。このときからキアヌは本格的に俳優の道を歩み始めることになりました。
キアヌの役者人生は、9歳のときに出演した舞台『ダム・ヤンキース』で始まりました。
17歳のキアヌは高校卒業を待たずに退学、俳優業に専念すべくロサンゼルスに引っ越しました。
引越し先のカリフォルニア州では、ドラマシリーズ『Hangin' In』でデビュー、テレビコマーシャルにも多数出演しました。
キアヌが初めて参加した映画は『栄光のエンブレム』(1986)で、ケベックのホッケーチームのゴールキーパーを演じました。
1999年、キアヌは映画『マイ・プライベート・アイダホ』(ガス・ヴァン・サント監督)で初めて重要な役を演じます。この映画の撮影で、彼は親友となるリヴァー・フェニックスと知り合いました。
しかし2年後、リヴァー・フェニックスは薬物の過剰摂取のため23歳で早世し、残されたキアヌ・リーブスはショックに打ちのめされます。彼は後年、インタビューの場で「彼のことを止められたはずなのに……」と何度も漏らしています。
親友の死から5年後の1998年、キアヌ・リーブスは当時デイヴィッド・リンチ監督の助手をしていたジェニファー・サイムと出会います。
二人はたちまち激しい恋に落ち、やがてジェニファーが妊娠。 1999年12月24日、妊娠8か月で娘エヴァ・アーチャー・サイム・リーブスを出産しましたが、不幸にも死産でした。
この悲劇は二人の関係に影を落とし、悲しみを乗り越えることができないままジェニファーと別れることに。
ところが、悲劇はこれで終わりではありませんでした。 1年半後、ジェニファー・サイムがマリリン・マンソンの家で行われたパーティーから帰宅する途中で自動車事故に遭い、28歳の若さでこの世を去ってしまったのです。
2006年、キアヌはパレード誌のインタビューで、彼を襲った悲劇についてコメントしています: 「悲しみは姿を変えることはあっても、決してなくならない。切りぬけられるはずだと言う人もいるけれど、これは間違っている。愛する人がいなくなったら、独りぼっちなんだ」
1999年、娘を死産で失う前、キアヌ・リーブスはすでに『マトリックス』の撮影を始めていました。しかし、監督のウォシャウスキー姉妹はもともと別の俳優を起用するはずだったのです。
ネオ役の俳優として、ジョニー・デップ、ブラッド・ピット、ヴァル・キルマー、トム・クルーズ、ウィル・スミス、ユアン・マクレガー、レオナルド・ディカプリオ、ニコラス・ケイジといった名前が挙がっていましたが、彼らは全員オファーを断りました。
ネオ役で役者としてのキャリアを確立したキアヌは、ジョニー・デップやトム・クルーズに並ぶスターとして、一躍トップ俳優の座に躍り出ます。
しかし、『マトリックス』三部作とそれに続く作品で収めた映画界での大成功とは裏腹に、キアヌの私生活には暗雲が垂れ込めていました。
相次ぐ悲劇に襲われたキアヌですが、人を思いやる気持ちを失うことはありませんでした。関係者によると、『マトリックス』続編の撮影中、シリーズ大ヒットの真の功労者は衣装・特殊効果部門だと主張して、彼らに7500万ユーロを寄付するため契約交渉をやり直したという逸話があります。
さらに、ガンや妹が患っている白血病の研究を行う施設にも映画収入の一部を寄付しました。
写真は二人の妹、キム・リーブス(左)とカリーナ・リーブス(右)に囲まれたキアヌ(中央)。
2004年から2014年にかけて、キアヌは映画に12本しか出演しなかったばかりか、メディアでもあまり話題になりませんでした。この消極的な姿勢は、10年間のうちに立て続けに起こった悲劇のトラウマのせいではないかと考える人もたくさんいます。
2014年、キアヌは主演俳優として『ジョン・ウィック』の制作に没頭しました。当初は低予算のアクション映画だったはずが、最終的にはカルト的人気を博す大ヒットに。
この成功でキアヌ・リーブスは俳優として生まれ変わり、2014年から2019年のわずか5年間で過去10年間を超える本数の映画に出演を果たします。
キアヌはハリウッドで最も「禅」の精神を持つ役者になることで、私生活の悲劇に立ち向かいました。
キアヌは『GQ』誌のインタビューで、次のように述べています:「お金には興味がありません。これまでの稼ぎで何百年か生活できるでしょうから」
「幸せというのは、好きな人のそばで眠ったり、友達と一緒に夕食をしたり、バイクに乗ったりすることだと思います。預金残高の桁数のことではないんですよ」
2019年11月、新恋人の造形作家、アレクサンドラ・グラント(写真)と一緒にイベントに出席したキアヌ。二人の恋愛は今も続いている。