エリザベス2世の70年:写真で見る英国女王の生涯
2022年9月8日、エリザベス2世は国民に別れを告げた。2022年は4月に96歳の誕生日を迎え、6月には歴史的なプラチナジュビリー(在位70周年)の祝賀を行うなど、多忙な年となっていた。先進的な君主として知られたエリザベス2世の生涯について多彩な写真で見てゆこう。
父王、ジョージ6世がこの世を去ったとき、25歳の若き王女だったエリザベス2世。英国君主としての責務を引き継ぐのは彼女だった。
1926年、当時、ヨーク公爵だった両親の元に生を受けたエリザベス。彼女の叔父にあたる英国王エドワード8世がアメリカ社交界の華、ウォリス・シンプソンと結婚するため1936年に退位すると、エリザベスの父親が英国王位を継ぎ、彼女も王位継承者となった。
子供の頃から威厳をそなえていたエリザベス2世。写真は王室メンバーらしく民衆に手を振る幼いエリザベス2世。
馬車に乗るジョージ6世と幼いエリザベス王女(1927年)。以降、長きにわたって彼女の姿が民衆の前に現れることになるのだ。
グリーン・パークをベビーカーで散歩する幼いエリザベス2世(1929年)。
バルモラル城で祖父のジョージ5世とともに祭日を祝う幼いエリザベス2世(1926年)。
母と妹のマーガレットとともに。エリザベス2世は幼いころからカメラに慣れる必要があったのだ。
王女の教育を取り仕切る母は、娘たちを家庭教師、マリオン・クローフォードに託した。
1937年5月、ジョージ6世とエリザベス王妃(のちの王太后)の即位式にて。
エリザベス2世がバッキンガム宮殿のバルコニーに姿を現したのはこのときが初めて。以降、この象徴的な場所で何度も国民に挨拶することに。
エリザベス2世は大の動物好き。とりわけ、コーギー犬は女王の生活に欠かせない相棒だ。最初のコーギー犬、スーザンは18歳の誕生日プレゼントだった。
エリザベス2世は野外での乗馬も競馬観戦も愛好する大の馬好きだ。写真では若いながらも堂々と馬を乗りこなすエリザベス2世。
未来の女王はここで水泳を身につけた。
1940年、ウィンザー城からラジオ番組『チルドレンズ・アワー』を全国放送するエリザベス2世。
1942年、バッキンガム宮殿にて両親および妹とともに。
華やかなドレス姿を披露するエリザベス2世と妹のマーガレット。ウィンザー城で1944年12月22日に開催されたクリスマス・パントマイムショーにて。演目は『オールド・マザー・レッド・ライディング・ブーツ』。
宮廷教育の枠を超えて音楽に情熱を傾けるエリザベス2世は、定期的にコンサートに参加して音楽家たちを表彰したり、軍楽隊やオーケストラの支援を行った。
大戦中は軍用車両の修理に当たったエリザベス2世。誰もが己の責務を果たさなくてはならなかったのだ。軍隊では運転技術を習得したという。
とても仲が良かったエリザベス2世と妹のマーガレット。写真は伝書鳩を飛ばす姉妹。
1947年7月10日の婚約発表の後、バッキンガム宮殿にて婚約者のフィリップ・マウントバッテンとともに。二人が最初に出会ったのは1934年のことだ。
未来の女王とその家族の傍らで写真に納まるフィリップ。結婚式の少し前のことだ。
ウェストミンスター寺院で式を挙げた王室メンバーとしては10番目だった。
1948年11月に誕生したチャールズ皇太子を抱くエリザベス2世。次期英国王候補だ。
エリザベス2世とフィリップ王配(1949年11月)。写真が撮影されたのはフィリップ王配が英国海軍軍人として駐屯していたマルタ島。二人のハネムーンはハンプシャーにあるブロードランズだった。
常に威厳ある立ち居振る舞いを見せてきたエリザベス2世。写真は、ウェールズのラドノーシャーにあるクレアウェン貯水池・ダムのオープニングセレモニーに参加したのち、会場を後にするエリザベス2世(1952年10月23日)。
ロンドン、バッキンガム宮殿の玉座の間で侍女たちに囲まれ女王の座についたエリザベス2世(写真右:1953年)。
夫のエディンバラ公爵とともにオープンカーで競馬観戦に向かうエリザベス2世(1957年6月)。彼女は常に夫との仲睦まじさを示してきた。
1960年、マーガレット王女がアンソニー・アームストロング=ジョーンズと結婚式を挙げた後、バッキンガム宮殿のバルコニーで国民に姿を見せるロイヤルファミリー。英国王室のイメージとしてよく知られる場面だろう。
暗い色の服装を身に着けたことは一度もないというエリザベス2世。写真はインド訪問の際、ニューデリーで行われた市民の式典にエディンバラ公を伴ってバイオレットのドレスで登場したエリザベス2世(1961年1月)。
エリザベス2世がジュエリー好きなのは良く知られている。1965年、国賓をもてなした際に身に着けていたのは英国王室伝来のジュエリーで、メアリー女王から受け継いだ式典用ネックレスとダイヤモンドブローチだ。
116人の子供と28人の大人が亡くなる大事故となったアベルヴァンの惨事(1966年)。エリザベス2世はエディンバラ公を伴ってウェールズにある炭鉱町アベルヴァンを訪れたが、現場に急行しなかったことを悔やんでいるようだ。
1969年7月1日、ウェールズのカーナーヴォン城で、チャールズ皇太子がプリンス・オブ・ウェールズに叙任された。女王にとって誇らしいひと時だったに違いない。
チャールズ皇太子にプリンス・オブ・ウェールズの冠を授けるエリザベス2世。未来の英国王が決まった瞬間だ。
バルモラル城で夏の休暇を過ごす女王とその一家(1972年)。仲睦まじさが伝わってくるこの写真は、銀結婚式用に撮影されたものだ。
愛車のランドローバーとともに。70年の治世を通して女王の愛車といえばこれ。
バッキンガム宮殿でエリザベス2世と写真に収まるレディ・ダイアナ・スペンサーとチャールズ皇太子。お似合いの二人だ。
エリザベス2世にとって、英国女王としての義務や栄誉と並んで大切なのは家族だ。写真はウィンザーで行われたポロの試合でチャールズ皇太子に賞を贈り、手の甲にキスをもらうエリザベス2世。
孫のウィリアム王子とヘンリー王子との素朴なひと時。女王には4人の子供と8人の孫、12人のひ孫がいる。
日々、お酒を嗜むエリザベス2世。午後のシャンパン一杯が日課だという。写真はポーランド訪問中、ワルシャワで列席者と乾杯するエリザベス2世。
雨の日も公務に励むエリザベス2世。写真はウェールズの英国軍を訪れたときのもの。600あまりある慈善団体のサポートなど、女王の予定は目白押しだ。
ロイヤル・ウィンザー・ホース・ショーに向かうところ(1987年)。女王はハンドルを握るのも躊躇しない。
エリザベス2世の70年は君主として模範的なものだと言ってよい。時代に柔軟に対応した彼女は、Facebook(2010年に開設)に加え、TwitterやInstagramも利用している。
2012年に初の3D放送が行われた英国連邦向けのクリスマスメッセージを録画チェックする女王。彼女のクリスマスメッセージは世界中で大勢の人々が心待ちにしている。
エリザベス2世は公務とあらば何でも積極的に行う。写真は2005年、フィリップ王配とともにロンドンに新設されたユニバーシティ・カレッジ病院の視察を行う女王。
女王は身長160cm。誰もが見逃さないよう、いつも明るい色の服装を着用している。
インドのチェンナイ空港に到着したエリザベス2世。衣装デザインばかりか、アドバイザー兼助手まで務めたのはアンジェラ・ケリーだ。
70年の治世のお供、ハンドバッグ。とくに、次の動作に取り掛かる際、ハンドバックでスタッフに合図するのだ。
女王といえど家族との別れは訪れる。2017年にセントポール教会で執り行われた、ビルマの第2代マウントバッテン伯爵、パトリシア・ナッチブルの葬儀にて。
滅多なことでは涙を見せないエリザベス2世。しかし、ランカスター公連隊記念碑の除幕式では、英国のために命を落とした軍人を思って涙した。
ウェストミンスターで執り行われた追悼式でも涙を見せる一幕があった。70年という長い治世の中で、多くの人々がやってきては過ぎ去るのを目の当たりにしている。実際、エリザベス2世の在位中にローマ法王は6人交代している(ピウス12世、ヨハネ23世、パウロ6世、ヨハネ・パウロ1世、ヨハネ・パウロ2世、ベネディクト16世)。
2021年7月のロイヤル・ホース・ショーに向かうエリザベス2世。いまだにハンドルを握っている。ナンバープレートなしで運転し、パスポートなしで旅行できるのは英国でも彼女だけ。
王室庭師のノーム・ダンと夫のフィリップ王配が見守る中、オーストラリア総督官邸の庭に「ブラックサリー(ユーカリの一種)」を植えるエリザベス2世。
スコットランドのファイフ公爵記念公園でフィリップ王配とともに微笑む女王。二人で送ったクリスマスカードは戴冠以来、3万7,500通以上だとか。
歳を重ねてもユーモアを忘れない夫妻。ウィンザー城で近衛兵に扮したフィリップ王配を前に笑みがこぼれるエリザベス2世。
73年を共に過ごしたパートナーを亡くした女王。子供たちの名字を巡るおかしな諍いなど、些細なエピソードを除いて、二人は生涯にわたって仲睦まじかった。
在位70年にわたって、女王自身がスキャンダルに見舞われたことはなかったが、残念ながら子供たちについてはそうもいかなかったようだ。チャールズ皇太子の過去やアンドルー王子のスキャンダル、ヘンリー王子の結婚騒動などなど、悩みの種は尽きない。
エレガントかつ威厳ある振る舞いで70年にわたり英国民の模範を示したエリザベス2世。長きにわたる治世に全世界から称賛の声が寄せられている。