エリザベス女王の孫娘ザラ・ティンダル:五輪メダリストとして活躍
幼いころから脚光を浴び続けるウィリアム王子とヘンリー王子とは対照的に、そのいとこたちが話題になることはあまりない。しかし、彼らがありきたりな生活を送っているかと言えば、そんなことはない。なかでも、アン王女の娘で故エリザベス女王にとっては最初の孫娘にあたるザラ・ティンダルは、英王室メンバーでありながら馬術家としても一流だ。
2022年9月19日に行われた故エリザベス2世の葬儀には、夫のマイク・ティンデルとともに参列するザラ・ティンダルの姿があった。
ザラは故エリザベス2世の体調悪化の報せが届くやいなや、女王が滞在するバルモラル城へ急いだ。祖母と深い絆で結ばれていたザラにとって、エリザベス女王の死は大きなショックだったに違いない。写真はバルモラル城で献花を行うザラ・ティンダル。
ザラはエリザベス2世にとって最初の孫娘にあたるだけに、女王の溺愛ぶりもひとしおだった。英王室に詳しい専門家によると、女王はザラの天真爛漫な性格を気に入っており、会うたびにニコニコしていたという。また、馬術という共通の趣味も、2人の絆を一層深めることとなった。
ザラとエリザベス女王のツーショットを見れば、2人の仲は一目瞭然。
1981年5月15日、ロンドンで誕生したザラ・アン・エリザベス・フィリップス。母はアン王女、父は英国陸軍大尉で馬術の五輪金メダリストとしても知られるマーク・フィリップスだ。
しかし、ザラは一人っ子ではない。アン王女とマーク・フィリップスの間には、ザラより4歳年上の兄、ピーター・フィリップスがいるのだ。写真は9歳のピーターと5歳のザラ。
ザラとピーターにはさらに異母姉妹が2人いる。1997年生まれのステファニー・フィリップス(写真右)と、1985年生まれのフェリシティ・トンキンだ。後者はマーク フィリップスがニュージーランド人美術教師のヘザー・トンキンとの間にもうけた婚外子だ。1991年に、DNA検査の結果からマークが父であると判明したため、アン王女とは翌年離婚することとなった。
いとこのユージェニーやとベアトリス(写真左)とは異なり、ザラは王女の称号を持っていない。これは彼女が英王室で果たす役割を考えると異例だといえる。また、兄のピーター・フィリップスも誕生時に王子の称号を与えられることはなかったが、これには理由がある。
1973年にアン王女と結婚したマーク・フィリップス大尉は、結婚祝いとして女王から贈られた貴族の称号を辞退したのだ。英国では王家の称号は父から受け継ぐことになっているため、ザラとピーターおよびその子孫に称号はなく、王室から収入を受け取ることもない。
写真:馬術イベントに臨むザラと父のマーク・フィリップス(2022年3月)。
王女の称号は帯びていないものの、王位継承権は失っていないザラ。現在の継承順位は20位だ。
しかし、称号を辞退するという父親の決断のおかげで、ザラはいとこたちにくらべると遥かに自由を謳歌している。たとえば、エリザベス2世の葬儀では夫のマイクと手をつなぐザラの姿が見られたが、このような振る舞いは王家の夫妻には認められていない。
2020年には『ヴァニティ・フェア』誌のインタビューに答えて、「たいていの人にとって称号は煩わしいものに違いありません。ですから、あれは良い判断だったと思います」とコメントしている。
写真:アン王女とマーク・フィリップス大尉の結婚式(1973年)。
また、王女でないため職業の面でも制約を課されることはなかった。実際、ザラが選択した道は非凡なものだったのだから。
馬に囲まれて成長したザラ・ティンダル。祖母のエリザベス2世が大の愛馬家だったことは周知の事実だ。女王は競走馬を数十頭飼っており、ザラも幼いころからポロや競馬の試合を観戦していたのだ。
写真は、祖母の膝でポロの試合を観戦する幼い頃のザラ。
母のアン王女は1976年のモントリオール・オリンピックに出場したこともある一流の馬術選手だ。一方、父は1972年の総合馬術で金メダルを獲得したほか、1988年のソウル・オリンピックでは団体戦に出場し、イギリス代表の一員として銀メダルを手にしている。
そのため、ザラ・ティンダルが馬術家の道を歩むようになったのは自然な成り行きだった。1999年に父と義母からプレゼントされた「トイ・タウン」という愛馬とともにトップ選手への第一歩を踏み出したのだ。同時に選手として自立するため、外部のスポンサー探しにも取り組んだという。
その結果、24歳にして一流選手の仲間入りを果たしたザラ。ヨーロッパ総合馬術選手権で個人優勝を果たすとともに、団体戦でもイギリス代表を金メダルに導いたのだ。さらに、2年後にはドイツ・アーヘンの馬術大会で個人優勝。2012年にはロンドン・オリンピック団体戦に出場し、銀メダリストとなった。
ザラがラグビー選手だったマイク・ティンダルと出会ったのは2003年11月。オーストラリアで開催されていたラグビーワールドカップで、イングランドが準決勝でフランスを下した直後の出来事だった。この後、マイクはイングランド代表の一員として金メダルに輝くこととなる。
マイク・ティンダルも英国では無名だったわけではない。ラグビーのイングランド代表選手として2000年から2011年まで活躍していたからだ。ポジションはセンター・スリークォーターバック。代表チームの一員として2003年のワールドカップ優勝に貢献したほか、シックス・ネイションズでも4度の優勝を果たし、 2014年7月に引退した。
ザラとマイクは 8年間にわたる交際の末、2011年7月30日に結婚。2人の結婚式はエジンバラのキャノンゲート教会で執り行われ、故エリザベス女王を含む王室メンバーが勢ぞろいして2人の門出を祝った。
写真からもわかるとおり、ザラ夫妻ととりわけ仲良しなのがヘンリー王子。実際、ヘンリー王子は夫妻の娘2人の代父を務めているほどだ。そして、ヘンリー王子がメーガン妃の後を追って米国に渡り英王室の不興を買ったときも、ザラ夫妻は彼を見捨てることはなかった。
故エリザベス女王にとって最後の記念式典となった2022年6月のプラチナ・ジュビリーでは、ピーター・フィリップスとともにヘンリー王子夫妻、ザラ夫妻も姿を見せた。ウィリアム王子とは不仲が目立つヘンリー王子だが、ザラ夫妻とは終始和やかなムードだった。
ザラとマイク夫妻の間にはミア (2014年生まれ)、レナ (2018年生まれ)、ルーカス (2021年生まれ) という3人の子供がいる。
家庭生活も順風満帆に見えるザラ・ティンダルだが、2016年には2度の流産という過酷な経験をしている。1度目は死産、2度目は中絶することになってしまったのだ。しかし、思いがけない幸せがザラを待ち受けていた。
2021年3月21日に息子を授かることとなったが、ザラが出産したのはなんとガットコム・パークの自宅バスルームだったのだ。夫のマイクはポッドキャストの中で「予定日よりずっと早かったんです。病院に行く時間もありませんでした」とコメントしている。
思いもよらぬ形で誕生した息子だったが元気に1歳を迎え、2人の姉や両親とともに馬術イベントを訪れるなど、人前に姿を見せるようになっている。英王室で異彩を放つ馬術一家の活躍に今後も注目だ。
写真:ロイヤルアスコットを観戦するザラ夫妻(2022年)