ウェイターから映画スターに:俳優たちのサクセスストーリー
「一流になるにはたくさん汗をかかなくちゃダメ。ここはそのための場所よ」これは1982年のドラマ『フェーム/青春の旅立ち』で、リディア・グラントが口にした有名なセリフだ。あれから40年、この事実はいまだに世界的スターたちに当てはまる。俳優、画家、モデル、ホテルマン、ビジネスパーソン…… 何を目指すにせよ一流になるのは大変なのだ。実際、世界的地位を手に入れる前、別の仕事をしていたセレブたちは少なくない。
そして、様々な仕事の中でも、ウェイターやウェイトレスこそセレブの多くが例外なく通る道だ。そこで今回は、成功を手にするまでカウンターの向こう側で働いていたスターたちにスポットライトを当てよう。
2度のアカデミー賞受賞歴を持ち、ブリジット・ジョーンズ役で有名なレネー・ゼルウィガー。父親が失業して娘の教育費を払えなくなってしまったため、大学1年目で仕事をすることに。
テキサス州オースティンにある有名クラブ「Sugar's Go-Go」でバーテンダーとして働くことになったゼルウィガー。店主のハワード・レネットは、彼女が瞬き一つで「男性客からたくさんチップをもらう」ほどの魅力を発揮したのを覚えているという。演技の練習としては最適?
世界屈指のイケメンならハリウッドデビューは簡単?そんなことはない。ブラッド・ピットですら苦労しているのだ。
ハリウッドの切符を手に入れるまで、ローストチキンのファーストフード店で働いていたブラッド・ピット。しかも、客引きのため、チキンの着ぐるみで踊らなくてはいけないこともあったという。
ジェニファー・アニストンもまた、マンハッタンの「ジャクソン・ホール・バーガーズ」でウェイトレスをしていた。そして『フレンズ』のレイチェル役で一躍注目されるようになったときも…… スクリーンの中で喫茶店「セントラルパーク」のウェイトレスをしていた。
『マリ・クレール』誌のインタビューで、アニストンは「ウェイトレスは向いていなかった。でも、お客さんには親切だったから評判は良かったわ」と当時を回想している。
経済紙『フォーブス』によれば、現在8000万ドルあまりの資産を誇るクリス・プラット。かつて、ビバリーヒルズのレストランで働きながら、客の食べ残しで食いつないだことがあるなど、信じられるだろうか?
『ザ・グラハム・ノートン・ショー』でプラット本人が打ち明けたところによると「お金はなかったし、客が来なくてチップももらえなかったから、そうするしかなかった」そうだ。
母親のもとを逃げ出し、夢を追いかけてロサンゼルスにたどり着いたミーガン・フォックス。しかし、全財産は2500ドルで、家も車もなし。フォックスが『Us Weekly』誌で行ったコメントによると「体を売るか、仕事を見つけるかしかなかった」という。そこで、仕事を探すことにしたのだ。
モデル事務所のエージェントがミーガン・フォックスを見出したとき、彼女はカウンターの向こう側で働いていた。その後は自然な流れでランウェイからスクリーンへの進出を果たしたが、パラマウントから『トランスフォーマー』第1作への出演依頼が来るまで、ウェイトレスを続けていたという。
コメディアンのクリス・ロックはウェイターとして働いた経験を自分のショーに活かしている。しかし、1989年にクイーンズ通りのチェーン店「レッドロブスター」で働いていたときに受けた扱いはひどいものだったという。
シーフードの殻剥きと皿洗いを担当していたというロック。「全然、昇進できなかったよ。僕は歯がボロボロなんだけど、シーフードのせいでこうなったと客に勘違いされないために、客前に出してもらえなったのさ」ロックはステージでそう語った。
レストランで働いていたコメディアンは他にもいる:サラ・シルバーマンだ。彼女は「ラ・カンティーナ」というメキシコ料理店でウェイトレスをしていた。しかし、彼女の場合、扱いがひどいだけでは済まなかった。上司からセクシャル・ハラスメントを受けたのだ。
サラ・シルバーマン本人がツイートで打ち明けたところによれば「レストランでウェイトレスをしていたとき、上司のオフィスに呼ばれました。ほとんど何も言わずにドアを閉めた彼は、怖がる私の目の前で自分の身体に触りはじめたんです」
ドン・ドレイパー役のおかげでテレビやコマーシャルの常連になるまで、バスのドライバー、バーテンダー、皿洗い、そしてセントルイスにあるレストランのウェイターなど様々な仕事を転々とした俳優のジョン・ハム。
『Wealthsimple』誌のインタビューでジョン・ハムは、ウェイターの仕事を通して「人に親切にすることや、必要なら周囲に助けを求める」ことを学んだとコメントした。彼によれば、ハリウッドで成功したいなら、まずレストランで修行するのが良いのだ。
1990年に『ミザリー』で文句なしのアカデミー賞女優になったキャシー・ベイツ。しかし、ニューヨークにやってくる20年も前から得意のパフォーマンスを披露していた。それは……
様々な仕事を渡り歩いたキャシー・ベイツが才能を発揮したのは、グロッシンガーズ・キャッツキル・ホテルリゾートの「歌うウェイトレス」の仕事だった。この経験のおかげでベイツは演劇の世界に踏み入れることになり、後のハリウッドデビューにつながったのだ。
高齢者が集まって暮らすコミュニティ、シニアタウンでウェイトレスをしていたアマンダ・サイフリッド。
『マンマ・ミーア!』や『ミーン・ガールズ』に出演するまで、サイフリッドはブロードウェイの歌手かウェイトレスになりたかったのだという。
レストランでの経験がアカデミー賞につながることもある。たとえば、1980年代初頭に有名なチェーン店「トニーローマ」でウェイトレスをしていたマリサ・トメイだ。
トメイが初めて演じた役は『フラミンゴキッド』(1984)のウェイトレス、マンディだったのだ。本物が演じたのだから説得力が違う。
女優兼コメディアンのクリステン・ウィグ。ロサンゼルスのユニバーサル・スタジオでキャリアをスタートさせた彼女だが、女優だったわけではない。カフェテリアのウェイトレスだったのだ。
SNSでウィグが語ったところによると、映画やドラマで大物俳優と共演したときに「ああ、この人、いつもコブサラダを注文していたよね」と思い出すことがあるという。
エレガントだが情熱的に撮影に臨むジュリアン・ムーア。仕事に対するその姿勢は、ボストン大学で勉強をするかたわら女優としてどんな役でもこなす一方、ウェイトレスまでしていたころから変わらない。
「私は働き者で、ウェイトレスとしても一流でした。言われたことは何でもこなしていました」ムーアは『デイリー・メール』が2010年に行ったインタビューの中でそう打ち明けた。
映画スターになるまで、ウェイトレスやホステス、バーテンダーとして働いていたサンドラ・ブロック。あまり知られていないのは、彼女がスクリーンの外でもジェニファー・クーリッジと同僚だったこと。
クーリッジはトーク番組『The Talk』に出演した際、サンドラ・ブロックが「ホステスで、自分はバーテンダーだった」ことを明かした。
一時期ウェイトレスをしていたニッキー・ミナージュ。しかし、客の相手をするのは向いていないと気付き、歌手に転向した。
ボールペンを盗った客を咎めたことでチェーン店「レッドロブスター」を辞めることになったのだ。GQ誌のインタビューに答えたニッキー曰く「人と接するのは好きだけれど、バカらしいことはやっていられない」
ポップミュージックの女王も、初めから音楽業界を席巻していたわけではない。
歌姫になる前のマドンナは有名なドーナツチェーン「ダンキンドーナツ」で数年間働いていたのだ。
アカデミー賞ノミネートの常連で、ハリウッド屈指の大スター、エイミー・アダムス。しかし、18歳のころは、有名チェーン「フーターズ」のウェイトレスをしていた。
テレビ番組『エンターテイメント・トゥナイト』で打ち明けたところによると、ウェイトレスの仕事は気に入っていたという。「最初はウェイトレス、それからテーブルコーディネーターをして車を買えるくらい稼ぎました」ウェイトレスとしての給料は決して多くなかったが、それでも「他の店の2倍。当時としては大金」だったそうだ。
レストランで働いたことがある『ミーン・ガールズ』の役者はもう一人いる。レイチェル・マクアダムスだ。
マクドナルドで3年間働いていたレイチェル・マクアダムスだが、何をするにもどんくさくて「ファーストフード店には向いていなかった」という。
キュートなパム・ビースリー役を演じる以前、レストランチェーン「ロング・ジョン・シルヴァース」で注文をとっていたジェナ・フィッシャー。
しかし、フィッシャーがコナン・オブライエンに打ち明けたところによれば、フライポテトを揚げる仕事の方が、ウェイトレスの仕事よりも一時間あたり70セント多く稼げると知った彼女は、躊躇なく担当を変えてもらったという。