イタリアの大富豪が逝去:レオナルド・デル・ヴェッキオの遺産総額は250億ドル
2022年6月27日、世界最大の眼鏡・レンズメーカーであるエシロールルックスオティカの最高経営責任者、レオナルド・デル・ヴェッキオが生まれ故郷ミラノで87歳の生涯を閉じた。
『フォーブス』誌の億万長者ランキングで52位となったレオナルド・デル・ヴェッキオは、250億ドル近くの遺産を残すことになる。
レイバンやオークリーなどのブランドを擁する、メガネ・レンズ業界最大の生産販売会社を通じ、莫大な財産を築き上げた。
写真:Instagram - @essilorluxottica
レオナルド・デル・ヴェッキオは、製菓会社フェレロSpAの会長で362億ドルの資産を有するジョバンニ・フェレロに次ぐイタリア第二の富豪だ。『フォーブス』誌によると、数百万ドルにおよぶ彼の遺産は、3回の結婚でもうけた6人の子どもたちの手に渡ることになる。
レオナルド・デル・ヴェッキオは貧しい家庭に生まれ、わずか一代で世界的な大企業を作り上げた人物だ。
『フォーブス』誌によると、生活に困窮した母親は、レオナルド・デル・ヴェッキオをマルティニット孤児院に入れた。彼が7歳の時だった。
公認の伝記を執筆したトンマーゾ・エープハルトが、孤児院育ちのレオナルド・デル・ヴェッキオが実業家として大きな成功を収めるまでの過程を著書の中で紹介している。
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トンマーゾによると、孤児院はレオナルドの性格形成に大きな影響を与え、起業家として財産を築くために必要な精密さを学ぶきっかけを与えたという。
レオナルドは14歳のとき、夜間学校に通いながらジョンソンで働き始め、その時の経験をいかして25歳の時に眼鏡部品を作る会社を作った。
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伝記によれば当時、地元自治体がベッルーノ県のアーゴルドで起業をする人に土地を提供していたことから、1958年、最初のメガネフレーム工場となるルックスオティカがその地に建てられた。
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1969年、レオナルドは34歳でルックスオティカの単独オーナーになった。それ以降の同社の国際的な成長には目を瞠るものがある。
1981年、初の大型買収を行い、米国の卸売業者アバンギャルドを買収。1990年、ルックスオティカはニューヨーク証券取引所に、その10年後にはミラノ証券取引所に上場を果たした。
2007年、ルックスオティカは2つの重要な買収を行う。ベニスタビリ不動産と世界有数のスポーツアイウェア企業のオークリーを21億ドルで買収した。その1年後、ベッルーノ税務委員会はレオナルドを脱税の疑いで告発し、国に対する2,040万ユーロの支払いを命じた。
ルックスオティカはエシロールとの合併により、全世界に18万人以上の従業員と9000のショップを持つ時価総額500億ユーロの大企業となった。『フォーブス』誌が指摘するように、罰金は微々たるものだったのかもしれない。
1990年代半ばには、ルックスオティカは光学分野の世界最大の生産・販売会社として、ほとんどすべてのアイウェアブランドの製造を行っていた。その中には、ブルガリやシャネルも含まれる。
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メガネ・レンズ業界に築き上げた大帝国を60年以上にわたり牽引してきたレオナルド・デル・ヴェッキオ。今後は息子たちが彼の事業を引き継ぐことになるが、まずはルックスオティカの父に別れを告げ、安らかな旅立ちを祈ることにしよう。