ヘヴィメタルバンド「アイアン・メイデン」で活躍したポール・ディアノが死去
伝説のヘヴィメタルバンド、アイアン・メイデンの初期にリードボーカルを務めたポール・ディアノことポール・アンドリュースが10月21日にこの世を去った。66歳だった。
ポール・ディアノが所属するレーベル「Conquest Music」がSNSアカウントに次の投稿を行った:「残念なことにポール・ディアノ(本名ポール・アンドリュース)が逝去したことをお伝えします」
前出の声明によれば、ポールは英国のソールズベリーにある自宅で亡くなったと伝えられている。ただし、その死因は明かされていない。
ポール・ディアノはアイアン・メイデンのボーカルとして1977年から1981年にかけて活躍し、同バンドの記念すべきファーストアルバム『鋼鉄の処女 - Iron Maiden - 』(1980年)とセカンドアルバム『キラーズ - Killers - 』(1981年)に参加した。
1975年に結成されたアイアン・メイデンでポール・ディアノは初期の成功に貢献したものの、セカンドアルバム発表後の1981年バンドを脱退。一方、アイアン・メイデンは目覚ましい活躍を続け、80年代にはカルト的人気を誇るブラック・サバスととともにヘヴィメタル界を席巻する存在となった。
ポールがアイアン・メイデンを脱退した背景には、彼が薬物やアルコールを過剰摂取していたことがある。ときにはそれが原因となり、バンドの公演を延期する必要に迫られるほどだったという。
アイアン・メイデンは1981年に初の来日ツアーを行った。このときすでにヴォーカルの後任としてブルース・ディッキンソンが決まっていたものの、本ツアーにはポール・ディアノが参加しポール時代のアイアン・メイデン最後のライブ録音が行われた。ディッキンソン加入後もバンドは精力的に活動を続け、3枚目のアルバム『魔力の刻印 - The Number Of The Beast - 』でさらなる評価を手にした。
アイアン・メイデンを脱退したポール・ディアノは、「バトルゾーン」や「キラーズ」等のバンドで音楽活動をつづけた。
近年は、かつて交通事故で痛めた両足の症状が悪化したことから車いす生活を送っていたものの、ポール・ディアノは音楽活動を続けていた。
2024年にはバンド 「Warhorse」と組んで新作アルバム『The Book of the Beast』を発表。アイアン・メイデン脱退以降の集大成ともいえるアンソロジー形式の本作が、事実上の遺作となった。
アルバムの発売元である「BraveWords Records」は追悼メッセージを発表した:「ヘヴィメタル界のレジェンドであるポールと仕事ができたことを光栄に思う」
画像:Facebook - BraveWords Records