なつかしの80年代に活躍したティーン俳優・女優たち(パート2)
前回に引き続き、80年代に活躍したティーン俳優・女優をご紹介。今ではベテランとなったあの人やこの人にも、みずみずしい青春時代があったのだ。
『青い珊瑚礁』(1980年)でエメライン役を演じたとき、ブルック・シールズはわずか14歳。しかし、世界中がこの少女に恋してしまったのは言うまでもない。
あまりに若くして大ヒットしてしまうと、そのイメージを打ち破るのに苦労するものだ。ブルックも例外ではなく、結局『青い珊瑚礁』を越えることはできなかった。また、作品に集中して取り組むタイプの女優だったため、出演作はそこまで多くない。
『グレムリン』(1984年)や『グーニーズ』(1985年)、『スタンド・バイ・ミー』(1986年)を観れば、コリー・フェルドマンが80年代に博した人気ぶりも納得がゆく。「コリーコンビ」の1人だが、相方とは違っていまも存命だ。
初期の出演作の数々を思えば、80年代以降あまりぱっとしなかったというのは信じがたい。とはいえ、21世紀に入ってからは徐々に復活を遂げている。
ハリウッド史に残るラブコメの名作『ダーティ・ダンシング』(1987年)でベイビー役を務め、パトリック・スウェイジと共演。順調にスターの道を歩むはずだったが、鼻の整形手術が誤算だった。
その後も映画に出演を続けたがかつての面影はなくなってしまい、人気を取り戻すことはできなかったのだ。
『ロスト・ボーイズ』(1987年)のカリスマ的リーダー、デイヴィッド役で人気を博し、ハリウッドスターの仲間入りを果たすかに見えたキーファー・サザーランド。
しかし、スクリーンでの活躍にもかかわらず、キーファーの当たり役となったのはTVドラマ『24』のジャック・バウアー役だった。
80年代ホラーの女王、ジェイミー・リー・カーティス。1978年にスタートした『ハロウィン』シリーズで大人気となり、ホラー映画における伝説となった。
その後、40年あまりにわたって輝かしいキャリアを築き上げ、『エヴリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(2022年)で思いがけずアカデミー賞助演女優賞を獲得した。
『スタンド・バイ・ミー』(1986年)のクリス・チェンバース役で一世を風靡したリヴァー・フェニックス。人々の憧れの的となったばかりか、18歳にして大金持ちになってしまった。
ところが、リヴァーはセレブであることの重みに耐えられず、ウェスト・ハリウッドにあるナイトクラブの入り口で薬物の過剰摂取によりこの世を去ってしまった。享年23。
『プリティ・ウーマン』(1990年)のヴィヴィアン役がターニングポイントとなったのは言うまでもないが、以前から『ミスティック・ピザ』(1988年)や『マグノリアの花たち』(1989年)で人気をさらっていた。
『エリン・ブロコビッチ』(2000年)でアカデミー主演女優賞を獲得したほか、アカデミー賞ノミネート歴は3度。はじける笑顔にふさわしい才能を発揮している。
80年代の代表的な出演作は『アウトサイダー』(1983年)、『卒業白書』(1983年)、『トップガン』(1986年)、『カクテル』(1988年)、『レインマン』(1988年)と名作揃い。映画史上もっとも稼ぐ俳優だけのことはある。
80年代以降もヒットを重ね、アカデミー賞に4度ノミネートされるなどレジェンド俳優の地位を確立。今や、多くの製作会社よりも大きな影響力を誇る、ハリウッド屈指の大スターだ。
『セント・エルモス・ファイア』(1985年)のジュールズ役や『きのうの夜は…』(1986年)のデビー役など、80年代を通して成功を掴んだデミ・ムーア。
その後、『ゴースト/ニューヨークの幻』(1990年)で一世を風靡、90年代ハリウッドを代表する女優となった。21世紀になってからの出演作は多くないとはいえ、今でも模範的ハリウッド女優だ。
80年代ティーンの憧れの的だったアンドリュー・マッカーシー。『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角』 (1986) で眩しいスマイルを見せたほか、『マネキン』(1987年)ではキム・キャトラルと共演し、抜群の相性を見せつけている。
その後もたびたび映画に出演したものの、インパクトはいまいち。TVドラマでは『THE BLACKLIST/ブラックリスト』や『The Family』に携わっている。