ハリウッドを後にした有名スターたち
ハリウッドの象徴、オードリー・ヘプバーン。20世紀を通じて多くの人に愛され、最も高い評価を受けた女優の一人である彼女は、人道支援活動に従事するため女優引退を決意。1989年にハリウッドを後にした。
残念ながら、オードリー・ヘプバーンが女優業引退のきっかけとなったライフワークに打ち込めたのは、わずか4年間だけだった。ハリウッドを象徴したヘプバーンは1993年、虫垂癌のためこの世を去った。63年の生涯だった。
キャメロン・ディアスは2014年の映画『アニー』を最後にスクリーンから遠ざかっていた。『ヴァニティ・フェア』誌に対し、「演技が好きなの、やっていて楽しいから」と語る一方、ハリウッドスターとしての人生はストレスになっていたようで、「もっと自分の人生を自分で動かしたい。ライフスタイルは自分が管理すべきもの」と語っている。
休業から8年を経て、2022年にNetflixオリジナル映画『 Back in Action(原題)』女優復帰することが発表された。世界のファンが公開を待っている。
26歳でオスカー賞を手にし、ハリウッドそして全世界を駆け抜けた往年の大女優グレース・ケリー。だが、姉のペギーにはかなわないと思っていたようだ。
その一年後、運命の出会いが訪れる。グレースはモナコ王国のレーニエ3世と恋に落ち、ハリウッドを去り同国のプリンセスになる決心をしたのだ。
ダニエル・デイ=ルイスの引退宣言はあまり信用できないといえるだろう。本人は『ファントム・スレッド』(2017)が最後の作品としているが、過去にもこう呟いている、「俳優はもう1999年に辞めてるよ」と。
1999年の引退表明の3年後、ダニエルはマーティン・スコセッシ監督に呼ばれ『ギャング・オブ・ニューヨーク』に出演。主演俳優としてアカデミー賞を含む複数の賞を獲得、あるいはノミネートに至った。つまりハリウッドに復帰する可能性は十分あるといえるだろう。
史上最高のジェームズ・ボンドを演じたショーン・コネリー(ダニエル・クレイグのジェームズ・ボンドも極上であるが)。しかし、遺作となった2003年の『リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた戦い』は残念ながら大きな話題にはならなかった。
ショーン・コネリーはハリウッドで年老いた役を引き受けることは好まず、年配役を受け入れたのは実生活でだけだった。俳優業を引退してからはテニスやゴルフなど好きなことに打ち込み、2020年10月に逝去。
スクリーンの中にいる親しみやすい女の子として80年代を象徴するスターだったフィービー・ケイツ。映画一家に生まれたフィービーの父は映画プロデューサー、叔父は映画監督、夫も俳優のケヴィン・クラインだ。
フィービー・ケイツは次女のグレタを出産した1994年以来、家族を優先してハリウッドとは距離をおいている。映画ではときどき見かける程度だが、現在のフィービーはファッションに興味があるようで、マディソン・スクエアにセレクトショップを構えている。
リック・モラニスは80年代のコメディー映画を代表する俳優の一人だ。しかし妻アン・モラニスが癌で亡くなり、二人の子供を育てるシングルファザーとなった。リックは子供のためにハリウッドへ戻ったとしても、父親業とは両立できないとして休業を決断。
休業の予定は1997年までだったが、モラニスはいまだハリウッドに戻って来てはいない。ただし、2020年に『ミクロキッズ』に続く新作映画『Shrunk』への参加が発表された。
この世で一番エレガントな俳優が、愛のためにハリウッドを去った。ただし愛と言っても恋愛ではない。父親になったのだ。
62歳で父親になったケーリー・グラントは授かった娘のジェニファーを深く愛した。ケーリーは娘とできるだけ多くの時間を過ごしたいということを理由に、ハリウッドスターとしてのキャリアに終止符を打った。伝説の俳優であり、そして語り継がれる父親である。
ジーン・ハックマンは『フレンチ・コネクション』(1971)でアカデミー賞主演男優賞を獲得、『ミシシッピ・バーニング』(1988)では同賞へのノミネートを果たした。
しかしハリウッドのストレスには敵わなかったようだ。ハックマンは2004年に俳優としてのキャリアに終止符を打ち、作家に転身。現在までに5冊の小説を出版している。
国際派ハリウッド女優の一人、グレタ・カルボ。しかし1941年、36歳の若さで女優としてのキャリアを放棄してしまった。「もうこんな仕事はたくさんよ」という言葉を残して。
実際のところはどうだったのだろう。『奥様は顔が二つ』(1941)への酷評がきっかけとなったという声もある。あまりに辛辣な評価をグレタは受け入れることができなかったというのだ。
『ゲーム・オブ・スローンズ』(2011-2019)で正真正銘のサディスト、ジェフリー・バラシオンを演じて高い評価を受けたジャック・グリーソン。当時のハリウッドでもっとも有望な若手の一人だった。
しかし、事実とドラマの世界をを混同する人々から侮辱を受けることもあった。冷酷なジェフリー・バラシオンという役の悪名の高さに音を上げ、2012年にはとうとう俳優としてのキャリアに終止符を打つことに。ジャックは『ゲーム・オブ・スローンズ』での役の死にあわせ、大学での勉強に集中することにした。
ディズニー女優として将来を期待されていたアマンダは、2010年にツイッターを通じて女優業引退宣言を行い、ファンを驚かせた。
以降、美容整形手術や逮捕、依存症などのトラブルを起こしてメディアを騒がせた。しかしアマンダは生まれ変わるための努力を重ね、ファッションの勉強を始めた。
90年代にティーン俳優として活躍したジョナサン・テイラー・トーマス。マコーレー・カルキンを快活にしたようなタイプで、『ライオン・キング』(1994)で若き日のシンバに声を吹き込んだ。
大人への階段を上がる中で、ジョナサンは有名俳優としてのキャリアではなく、映画の勉強に興味を抱くようになる。そして、ハーバードやコロンビアといった世界最高峰の大学で学んだ。
『ベルエアのフレッシュ・プリンス』(1990-1996)でヒラリー・バンクスを演じたカリン・パーソンズ。ショービジネスの世界を去る決断をしたのはカリンではなく、単にハリウッドが彼女に冷たかったのだ。なんとか仕事を手に入れようと努力したものの、たまにテレビに出演したり映画の脇役をもらえるくらいだった。
ハリウッドを後にしたカリン・パーソンズは知られざるアフリカ系アメリカ人の偉業を紹介するコンテンツ制作会社Sweet Blackberryを立ち上げた。また二冊の児童書『How High the Moon』(2019)、『Flying Free』(2020)の著者としても知られている。
ひとことでいえば、顔に手を加えてしまったことがメグ・ライアンの問題のきっかけだった。ハリウッドはもう彼女が誰かを見分けがつかなくなってしまったのだ。長い間その姿をスクリーンで見ることはなかったが、『What Happens Later(原題)』(2023年公開予定)で監督兼主演を務めることが報じられた。
メグ・ライアンはアメリカのラブコメ女王として人気を博したが、美容整形手術に少し夢中になってしまったのかもしれない。その結果、だれからも共演を敬遠される存在になってしまったようだ。
ポーシャ・デ・ロッシは、妻のエレン・デジェネレスが司会を務めるトーク番組で「45歳で女優業は辞めたい」という考えを明かした。
そして、引退後は3D技術を駆使した美術品修復のビジネスができればと語っていた。多少危険な賭けにもみえるが、リッチなポーシャとエレンなら実現できるかもしれない。
『さらば愛しきアウトロー』(2018)が引退作品となったロバート・レッドフォード。ハリウッド俳優として長いキャリアを歩み、人生に変化を必要としていたのかもしれない。
81歳でハリウッド俳優を引退した彼は、この後は監督業に挑戦したいと語っている。80を過ぎても自分の夢を追いかける姿は、充実した生き方のお手本といえるだろう。
2011年、当時18歳だったテイラー・モンセンは見事なフィルモグラフィーを誇っていたにも関わらず、突然女優業からの引退を宣言した。
テイラー・モンセンは女優ではなく、パッションを感じるロックン・ロールに人生を捧げたいそう。その後プリティー・レックレスというオルタナティブ・ロックバンドで音楽活動に専念しており、どうやらこの転身は成功したようだ。