華やかなハリウッドを捨てて画業で成功:90年代の人気女優リーリー・ソビエスキーはいま
90年代後半、10代半ばの魅力的なリーリー・ソビエスキーは、ハリウッドでひときわ輝いていた。
私立校のカフェテリアでスカウトされた彼女は、『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』の最終オーディションにまで残った。結局その役はキルスティン・ダンストが手に入れることになったが、当時11歳のリーリー・ソビエスキーはその頃から輝いていたようだ。
『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』のオーディションと同じ年、彼女はテレビと映画の仕事を始める。それから7年の時が流れ、18歳になるまでには(彼女は1983年6月生まれ)、リーリー・ソビエスキーは世界中の人気者になっていた。批評家からの高い評価をうける演技力と、やはり「きらりと光る何か」が備わっていたのだ。
『ディープ・インパクト』(1998年)や『25年目のキス』(1999年)、『アイズ・ワイド・シャット』(1999年)といった映画でリーリー・ソビエスキーは一躍その名を知られるようになり、次の時代を代表するのはこの女優かと、そんなふうに周囲は信じた。
若いながら、すでに大物とも仕事をこなしていた。たとえば、リュック・ベッソン、J・J・エイブラムス、トム・クルーズ、スタンリー・キューブリック。『ロード・キラー』(2001年)ではポール・ウォーカーと共演を果たす。ティーンたちはこのクールなカップルをうっとりと眺めたものだった。
スクリーンに現れるソビエスキーはとても説得力があった。カリスマにあふれかえる彼女を、観客たちも愛さずにはいられなかった。なんといっても、彼女はまだ20歳そこそこだった。
しかし本人はどこまでもクールだった。ギャラを十分に稼ぐと、そろそろハリウッドに見切りをつけて、本格的に自分の夢を追い始めようとしていたのだった。
そもそものはじめから、そしてキャリアの絶頂期にも、彼女はハリウッド的野心とは無縁だった。彼女はべつに、生馬の目を抜くハリウッドに君臨し続ける女王の地位など望んではいなかったのだ。
リーリー・ソビエスキーが必要としていたのはシンプルな生活だった。他の「スターの卵」ならいざしらず、彼女はハリウッドのきらびやかな交際や、レッドカーペットの華やかなドレス姿、刺激的なパーティーにはさしたる興味も示さなかった。
彼女はスターでありながら、セレブの前で一ファンとしての気持ちをとくに隠すこともない。ジェイ・レノが司会を務めるトークショーに出演した彼女は、有名人の髪の毛をコレクションしていると明かした。いわく、サインだと「あまりに人間味が足りない」とのこと。
ともかく彼女は、ハリウッドの仕事をすっぱりと辞め、絵描きとして身を立てていくと決めた。その決断は、成功間違いなしのキャリアを投げうち、高収入にもきっぱり別れを告げることを意味していた。
リーリー・ソビエスキーの母は映画プロデューサー・脚本家である。そのため当初、娘は母の背中を追っているかのように見えた。しかしハリウッドでの成功は、人生のほんの序章に過ぎず、出し抜けの転向によって娘は父(ジャン・ソビエスキー)の志を継ぐようになった。彼も映画俳優だったが、のちに画家に転向したのである。
2012年を境に、突如として「リーリー・ソビエスキー」の名は懐かしい響きを持ちはじめた。彼女はかつて多くの人を魅了した90年代のスターたち、そしていまは色褪せつつあるスターたちの代表選手となった。われわれが90年代ハリウッド映画を「あの頃はよかった」と思い返すとき、誰かが必ず「あの頃はリーリー・ソビエスキーがいてさ……」と口にするのだ。
写真:Instagram (@leeleekimmel)
ここ10年ばかりの彼女の動向は、その新しい名前を知らないかぎり、知ることはほとんど叶わない。プロの絵描きになった彼女は、リーリー・キンメルと名乗っている。ファッションデザイナーのアダム・キンメルと結婚し、その姓を使っているのだ。
リーリー・ソビエスキー(キンメル)は家庭生活も充実させている。2009年には第一子のルイジアナ・レイを出産し、2014年には第二子マーティンを産んだ。
彼女が映画界を去った理由の一つに、過剰な恋愛シーンがあった。2012年の『ヴォーグ』のインタビューで彼女は、これまで演じた役のほとんどで数多くのきわどいシーンを演じさせられ、まったく心中穏やかではなかったと語っている。そのインタビューと同じ年に彼女は映画界を去ったのだった。
2018年の『AnOther』のインタビューではさらにあけすけに語っている。映画産業から離れて6年が経ち、これまでは自分一人の胸にしまっておくよりほかなかった「わだかまり」を一気に吐き出す気分になれたようだった。
「次第にいろんなことが手に負えなくなってきました。そこで頃合いを見て、やめたんです。映画産業というのは下品なところです。まあ、どんな業界もつきつめると下品かもしれませんが。しかしとりわけ俳優業において、私たちは自分の容姿をとことん売り物にするわけです。演技で誰かにキスしなければならないとき、私はいつも泣いていました。いやでたまらなかった。『私はこの人好きだから、お金をもらってキスするのはおかしい』とか、『私はこの人嫌いだから、キスしたくない』とか、そんなことばかり考えていました。どうしてお金で私のキスが買えるのか? 自分がひどく安っぽくなった気がしました」
俳優業をやめて絵描きになることは、彼女にとってすばらしいアイディアだった。彼女はトレーラーの内側をビニールのシートで覆い、空き時間に絵を描けるようにしていたという。
アート市場のウェブサイト「Artnet」の2018年のインタビューで、彼女は次のように語っている。「私は熱心に、そしてこっそりと作品に取り組みました。ずっと画家になることを目指していましたが、俳優業や支払い業務に取り紛れていました」
「たとえばNetflixなどで、私が子どもたちの父親以外の男の腕に抱かれている姿を、子どもたちには見てもらいたくないのです」と彼女は同じインタビューで続けた。
映画界を去ったリーリー・キンメルはアートに専念し、初の個展を2018年に開く。『ヴォーグ』は好意的な記事を書き、『ニューヨーク・タイムズ』は、巨大なキャンバスに描かれた謎めいた形状を指して、「パラノイアの不吉な予感」が感じられると評した。
彼女は現在、アートの世界で成功を収めている。その作品は、ニューヨークからパリ、上海から韓国まで、世界中の展覧会で展示されている。
画家としての評価は高く、いくつかの作品はウェブサイト「Invaluable」によると、8万ドル近い値段で競り落とされたという。
リーリー・キンメルのアート作品は、彼女のInstagramで見ることができる。
写真:Instagram (@leeleekimmel)
彼女が好んで制作するのは大キャンバスの作品で、抽象的な形状と強烈な色彩、無邪気さが渾然一体となって、思いもよらぬ、しかし心和ませる調和を生み出している。
写真:Instagram (@leeleekimmel)
自身が認めているように、彼女のペインティングは創造と破壊を意味している。それこそ人の魂の本質だと、リーリー・キンメルは考えているのだ。それぞれの作品には個人的なメッセージが含まれているが、高度に抽象化されており、鑑賞者にとっては難解なものとなっている。
写真:Instagram (@leeleekimmel)