キケンすぎる懐かしの「おもちゃ」:受け取ったはいいが......
だれもがスマートフォンを手にしている現在、子どもたちが画面ではなく古き良き遊びをしていた頃のことを懐かしむ人もいるだろう。だが、そのころ出回っていた玩具のなかには、にわかには信じられないほど危険なものもあった。ここではかつて市場に出ていた危なすぎるおもちゃをご紹介しよう。
写真: Tiia Monto, CC BY-SA 3.0
もしあなたが80年代生まれなら、子どもの頃に「スリップ・アンド・スライド」で遊んだことがあるはず。子どもはみんな、心躍るTVコマーシャルに憧れたものだ。
写真:スクリーンショット, YouTube
この「スリップ・アンド・スライド」、核実験の真似事にくらべればずっと安全な遊具に思えなくもない。だがそうとも言い切れないのは、長年にわたって恐ろしい事故が起きてきたからだ。
「スリップ・アンド・スライド」は小さな子どもの使用を前提に設計されていた。つまり大人向けではなかった。それでも多くのティーンエイジャーや遊び足りない大人たちは、ウォータースライダーの誘惑に逆らえなかった。彼らは増えた体重、伸びた身長のぶんだけ危険を背負って滑り、しばしば急につっかえて止まり、治癒が難しいとされる脊髄損傷を抱えることになった。
1999年、この遊具のメーカーである「ワムオー」は、900万台のリコールを余儀なくされた。それまでにティーンエイジャーが1人、大人が7人、このすべり台の事故で身体の麻痺や、頸部の深刻な傷害を得ていた。
写真:Imokurnotok (talk) - self-made, Public Domain
子を持つ親は、科学の知識を楽しんで学べるおもちゃに目がない。子どもたちが喜ぶのはもちろん、役立つ技術もついでに身につくからである。だが、1950年代に登場したこの化学キットは、今ではどんなことがあろうと店頭に並ぶことはない。そこにはもっともな理由があるのだ。
1950年代、原子力は人々の強い関心を集めていたのだが、この玩具はその関心がやや行き過ぎた例である。「ギルバートの原子力研究室」で子どもたちは原子力について学び、核反応と化学反応の実験をすることができた。それも本物の放射性物質を使って!
写真:Science History Institute, CC BY-SA 3.0
このセットには含ウラン鉱石の実物が4種類と、それからもちろんガイガー・カウンター(放射線量計測器)も入っていた。にもかかわらず、当時の広告には「危険物ではありません」と謳われていた!
幸運というべきか、キットはあまり売れなかった。といっても読者のみなさんがお考えの理由からではない。親たちの購買意欲を挫いたのは、その値札だった。キットは当時49.50ドルで売られており、これは今の600ドルに迫る金額である。
子ども向けおもちゃを作るさい、最近の玩具メーカーであれば、そこに含まれる物質についてきびしく目を光らせているはずだ。と、そんなふうに考えがちだが、「CSI:指紋鑑定キット」と「CSI:鑑識捜査ラボキット」は違った。
写真:YouTube@dailypinkslip
2007年に発売されたこれらの玩具は、探偵や捜査官になりきって遊ぶ子どもたちに人気を博した。指紋を採るための粉をふりかけ、それから一気に吹き飛ばすのだ(そうこうする間に大量の粉を吸い込むことになる)。キットの指紋採取パウダーにアスベストの結晶が含まれているなんて、親たちは夢にも思わなかったはずだ。
写真:YouTube@curiosidadesconmike
恐ろしいことに、米の環境保護団体EWGが率いた調査で、キットの指紋粉末に7%ものトレモライトが含まれていることが判明した。これはアスベストの中で最も致命的な鉱物の一種である。
トレモライトに一度でもさらされると、数年後あるいは数十年後に肺疾患や中皮腫を発症する恐れがあるとされている。むろん、この玩具は販売禁止となり、集団訴訟は2009年に和解が成立した。
1950年代に登場した「芝生ダーツ」のコンセプトはケチのつけようがない。巨大なダーツ(矢)を放り投げ、芝生の上の的に落とすという趣向。家族みんなで楽しめる、これぞ健全でまっとうな娯楽というもの。ただ、50年代において安全性試験という考え方はほとんど無きに等しかった。もしテストさえしていれば、考案者はダーツを世に出す前によくよく考え直したはずである。
この遊びに使われるダーツは、先端は極めて鋭く、全体はずっしりと作られていた。そのおかげで投げたら地面に突き刺さるのだ。ただちに判明したのは、先のとがった巨大な物体を子どもたちに投げさせるのは賢明ではないということだった。
負傷者が何千人も出たすえに、1970年にFDA(アメリカ食品医薬品局)がこの遊具を「物理的危害要因」に分類した。だが、わずかな改良を施したうえで、この商品の販売はひきつづき行われた。
写真:YouTube@YoPaul
その後も芝生ダーツが原因の死亡事故が数件発生し、とりわけ1987年に起きた事故、当時7才の女の子が兄の投げたダーツに頭蓋を貫かれて命を落とすという事故を経て、ようやく1988年に北米で販売が禁止された。それでも、先端が柔らかい素材で作られた改良版「芝生ダーツ」はいまだに店の棚に並んでいる。
写真:米国消費者製品安全委員会, Public Domain
玩具の作り手たちは、どうやら1950年代の子どものことをほとんど不死身だと考えていたふしがある。たとえば「レッドライダーのBBガン」のように、たやすく人を失明させてしまえる銃や、マテル社の「ベルトバックル内蔵型デリンジャー小銃」という、金属に包まれた樹脂の弾を発射する玩具が、それこそ子どもの手の届くところにあったのだから。
50年代を振り返るとき、なみいる競合品を押しのけてダントツに危険なおもちゃの銃といえば、「オースティンの魔法の拳銃」を措いてほかにない。どことなく近未来的なこの銃には、人を傷つけるところなどなさそうだった。結局のところ、これが撃てる弾といえばピンポン玉で、当時市場に出回っていた多くのトイ・ガンよりも見たところはるかに安全だったのだ。
写真:Geo G. Wiki Fandom
しかしながら、「オースティンの魔法の拳銃」には大きな問題がひとつあった。玉を飛ばす火薬として「魔法の結晶」が使われていたのだ。
「魔法の結晶」の正体は、あろうことか炭化カルシウムだった。水あるいは何かしらの液体(唾液でもかまわない)がそこに混ざると、アセチレンガスが発生し、しかるのちに爆発するという危険物。ようするに、おもちゃの銃を濡らしたらさあ大変、ぶっとぶぞ!
写真:YouTube