90年代の「美少女ブーム」を担った女優たち:牧瀬里穂、宮沢りえ...... 

80年代から90年代の「美少女」たち
後藤久美子
3人の子供の母親
宮沢りえ
演技派女優の地位を確立
美少女の「3M」
観月ありさ
ギネス世界記録を保持
牧瀬里穂
ファッションプロデューサーと結婚
80年代から90年代の「美少女」たち

80年代から90年代にかけて、芸能界にはいわゆる「美少女ブーム」が巻き起こった。あの頃の「美少女」たちはどうしているだろうか。今回は、社会を席巻した彼女たちの半生を追ってゆこう。

画像:Kyodo / Kyodo News Images

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後藤久美子

「美少女ブーム」の火付け役となったのが後藤久美子だ。12歳の時に出演したNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』(1987年)で大きな注目を集め、「国民的美少女」と呼ばれるようになった。彼女の愛称「ゴクミ」が新語・流行語大賞の流行語部門で銅賞を受賞するほどの社会的ブームを巻き起こした。

生年月日:1974年3月26日

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3人の子供の母親

後藤久美子は人気絶頂の21歳の時に、F1レーサーであるジャン・アレジとの交際を宣言。それから間もなく渡仏してアレジとの間に長女、さらに2人の子供を授かった。50歳となった今も事実婚で結ばれたアレジと仲睦まじく、美しさにも磨きをかけ、2022年にモデルデビューを果たした長女、エレナ・アレジ・後藤(写真右)と雑誌などで共演している。

宮沢りえ

後藤久美子とともに「美少女ブーム」を牽引したのが宮沢りえ。トップアイドルだった18歳の時にヘアヌード写真集を発表し世間をあっといわせると、翌年に貴乃花関(当時は貴花田関)と婚約。日本中が大騒ぎとなったが、3か月後には破局を迎えた。

生年月日:1973年4月6日

 

演技派女優の地位を確立

婚約を撤回した後は一時期芸能活動を休止していたが、徐々に活動を再開。2002年に山田洋次監督の『たそがれ清兵衛』で日本アカデミー賞最優秀女優賞を獲得し、本格的に女優としての道を歩き始めた。30代から40代にかけて結婚、出産、そして離婚を経験し、51歳の現在は演技派女優の地位を確立している。プライべートでは元アイドルV6のメンバーで俳優の森田剛と再婚した。

画像:Instagram, @riemiyazawa0406_official

美少女の「3M」

美少女として人気を博していたのは後藤久美子と宮沢りえだけではない。90年代初頭に大活躍していた牧瀬里穂と観月ありさは、宮沢りえと共に苗字の頭文字をとり美少女の「3M」と呼ばれていた。

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観月ありさ

4歳でモデルデビューし、14歳の時にアパレル企業のCMで注目を集めると映画『超少女REIKO』の主役に大抜擢された観月ありさ。続いて15歳で連続ドラマ初主演を果たして話題を呼び、それから現在まで女優として活躍している。

生年月日:1976年12月5日

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ギネス世界記録を保持

今年48歳となる観月。『日刊ゲンダイ』誌によれば、15歳で初めて主演を射止めたフジテレビ『放課後』(1992年)から30年間連続ドラマの主演を務め、ギネス世界記録にも登録されているという。

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牧瀬里穂

JR東海のCM『クリスマス・エクスプレス』で脚光を浴び、一躍トップスターの仲間入りを果たした牧瀬里穂。女優や歌手として幅広い活躍を見せ、多くのCMに出演した。

生年月日:1971年12月17日

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ファッションプロデューサーと結婚

2008年にファッションプロデューサーのNIGOと結婚。52歳となった現在も女優として活動している。

画像:Instagram, @rihomakise

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