90年代に「美少女ブーム」を巻き起こした彼女たちはいま:牧瀬里穂、宮沢りえ...... 

90年代に一世を風靡した「美少女」たち
宮沢りえ
演技派女優の地位を確立
後藤久美子
3人の子供の母親に
美少女の「3M」
牧瀬里穂
ファッションプロデューサーと結婚
観月ありさ
ギネス世界記録を保持
90年代に一世を風靡した「美少女」たち

80年代末から90年代にかけて芸能界を席巻した「美少女ブーム」を覚えておいでだろうか。あれから30年が経った今、かつての「美少女」たちはどうしているだろう。華やかな半生を追ってゆこう。

画像:Kyodo / Kyodo News Images

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宮沢りえ

「美少女ブーム」を牽引した宮沢りえ。トップアイドルだった18歳の時に、ヘアヌード写真集を発表して世間をあっといわせた。その翌年には貴乃花関(当時は貴花田関)と婚約会見をひらき、メディアを騒然とさせたものの、3か月後に破局を公表。

生年月日:1973年4月6日

 

演技派女優の地位を確立

貴乃花関との婚約を解消した後はしばらく芸能活動を休止していたが、少しずつ活動を再開。2002年に山田洋次監督の『たそがれ清兵衛』で日本アカデミー賞最優秀女優賞を手にし、演技派女優としての道を歩きはじめた。キャリアを続けながら30代から40代にかけて結婚と出産、そして離婚を経験している。51歳の現在、ベテラン女優として多くの作品に出演を続けており、プライべートではV6の元メンバーで俳優の森田剛と再婚した。

画像:Instagram, @riemiyazawa0406_official

後藤久美子

「美少女ブーム」の火付け役となったのが後藤久美子だ。12歳で出演したNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』(1987年)で高い注目を集め、「国民的美少女」と呼ばれるようになった。彼女の愛称「ゴクミ」が新語・流行語大賞の流行語部門で銅賞を受賞するほどの社会的ブームを巻き起こした。

生年月日:1974年3月26日

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3人の子供の母親に

後藤久美子は人気絶頂の21歳の時に、F1レーサーであるジャン・アレジとの交際を宣言。それから間もなく渡仏してアレジとの間に長女、さらに2人の子供を授かった。50歳となった現在もアレジと事実婚を続けており、仲睦まじいようすがキャッチされている。美しさも相変わらずで、2022年にモデルデビューを果たした長女のエレナ・アレジ・後藤(写真右)と雑誌などで共演している。

美少女の「3M」

美少女として人気を博していたのは後藤久美子と宮沢りえだけではない。90年代初頭に大活躍していた牧瀬里穂と観月ありさは、宮沢りえと共に苗字の頭文字をとり美少女の「3M」と呼ばれていた。

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牧瀬里穂

JR東海のCM『クリスマス・エクスプレス』で一躍脚光を浴びた牧瀬里穂。たちまちトップスターの仲間入りを果たし、女優や歌手として幅広く活躍したほか、企業からひっぱりだこのCMの女王となった。

生年月日:1971年12月17日

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ファッションプロデューサーと結婚

2008年にファッションプロデューサーのNIGOと結婚。53歳となった現在も女優として活動している。

画像:Instagram, @rihomakise

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観月ありさ

4歳でモデルデビューし、14歳の時にアパレル企業のCMで注目を集めると映画『超少女REIKO』の主役に大抜擢された観月ありさ。続いて15歳で連続ドラマ初主演を果たして話題を呼び、それから現在まで人気女優として息の長い活躍を続けている。

生年月日:1976年12月5日

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ギネス世界記録を保持

現在48歳の観月。『日刊ゲンダイ』誌によれば、15歳で初めて主演を射止めたフジテレビ『放課後』(1992年)から30年間連続ドラマの主演を務め、ギネス世界記録にも登録されているという。

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