歴史にのこる大胆な盗難事件の数々:『モナ・リザ』、ムンクの『叫び』……
イタリアのヴェローナにあるカステルヴェッキオ美術館から2015年に盗まれた作品の総額はなんと1500万ドル以上。ルーベンス、ティントレット、マンテーニャ、ベッリーニをはじめ、17点の傑作が被害に遭った。
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この事件の犯人グループは、イタリア人やモルドバ人が所属する犯罪組織であり、美術館に内通者までいた。警報を切って犯人が侵入できるようにしたのは、なんと警備員だったのだ。インターポールやウクライナ警察による合同捜査の結果、盗品は2016年にウクライナでビニール袋に入れられ茂みに隠された状態で発見された。
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2022年4月18日、F1ドライバーのシャルル・ルクレールはコレクターズアイテムの腕時計を盗まれてしまった。これは高級ブランド「リシャール・ミル」の67-02のカスタマイズ版だった。『Corriere della Sera』紙によれば、2002年には類似の腕時計がクリスティーズで200万ドルで落札されており、同程度の価値があったと見られる。
どうやら被害者は犯人グループにつけ狙われていたようだ。さて、センセーショナルな盗難事件は枚挙にいとまがないが、そのほとんどは世界有数の一流美術館で行われたものだ。
お気に入りの画家の作品を鑑賞しながら、美術館でゆったり朝を過ごしていたら突如、展示室に飛び込んでくる2人の男。絵画2枚をおもむろに壁から外すと、あっという間に持ち去ってしまった…… 2004年、オスロ国立美術館を訪れた来館者が目撃したのはそんな光景だった。2年後になって両作品が戻って来たとき、犯人はメモを残していた:「脆弱なセキュリティに感謝します」
アムステルダムのゴッホ美術館も歴史的な盗難事件の舞台になったことがある。2002年12月、1億ドルあまりの価値を持つゴッホの作品2点(『スフェヘニンゲン海岸の嵐』と『ニューネンのプロテスタント教会を後にする人々』)が盗まれたのだ。14年後になってようやく、イタリアの財務警察がマフィアのボス、ラッファエレ・インペリアーレの自宅から作品を取り戻した。
イタリア人はよく、イタリアの象徴はフランスにあると自嘲めいたことを言うが、かつて本気でそう考えた者もいた。そして、あろうことか「イタリアの象徴」を奪いかえそうとしたのだ。1911年に発生したこの事件の犯人、ヴィンチェンツォ・ペルッジャは『モナ・リザ』の保護ケース設置に当たったイタリア人作業員だった。動機はもちろん愛国心。
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しかし、ペルッジャが怪盗ルパンのような盗みの天才だったかというと、そんなことはない。20世紀初頭、美術館のセキュリティは現在とは比較にならないほど脆弱だったのだ。8月20日から21日にかけての深夜、館内の棚に隠れていたペルッジャは翌日、『モナ・リザ』を腕に抱えてすんなり通用口から逃げ出してしまった。
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幸い『モナ・リザ』は戻って来たが、1969年にパレルモで盗まれたカラヴァッジョの名作『キリストの降誕』はいまだ行方不明のままだ。その価値はおよそ2000万ドル。
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絵画泥棒や闇市場ブローカーの間で「大人気」のゴッホ。1978年には、エジプトのギザにあるモハメド・マフムード・ハリル美術館の壁から、5,000万ドル相当のゴッホ作品『花瓶』が盗まれてしまった。数年後にクウェートで発見され、元の美術館に返還されたが、話はそこで終わらなかった。2010年に再び盗まれてしまったのだ。しかも、その日の来館者はたったの9人。どう考えても怪しい。そして、いまだに行方不明だ。
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1652年にレンブラントが描いたこの作品。ダリッジ・ピクチャー・ギャラリーの壁から4度(1966年、1973年、1981年、1986年)も盗まれていることから「テイクアウェイ・レンブラント」の異名を付けられてしまった。29.9×24.9cmとサイズが小さいことも、絵画泥棒の標的になってしまう一因だろう。コートの下に隠すのも簡単!
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専門家が「値段はつけられない」と評するジョルジョ・デ・キリコの『自画像のあるコンポジション』。2017年にフランスにあるベジエ美術館から盗まれて以来、行方不明だ。額縁だけを残して作品を持ち去った犯人について、手掛かりは皆無だ。
『ArtNews』誌が史上最大の美術品盗難事件と評する出来事の舞台となったのは、ボストンにあるイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館だった。1990年3月17日、2人組の強盗が館内に侵入し、警備員や来館者を拘束。その隙にフェルメールやレンブラント、マネ、ドガの作品をはじめ、13の傑作を持ち去ったのだ。犯人2人は入場券を買って入館すると次の瞬間、銃を取り出したとされている。
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フランスで起きた信じがたい盗難事件の犯人の名はヴジェラン・トミック(Vjeran Tomic、写真)。パリ市立近代美術館に保管されていた傑作をどうやって盗み出したのか『ニューヨーカー』誌に語ったのは彼自身だ。
セーヌ川沿いを散歩中、パリ市立近代美術館の窓が以前忍び込んだアパートと似ていることに気づいたトミック。じっくり下見をしたのち、ある晩、とうとう壁を伝って侵入し、望みの品を手に入れた(マティスやモディリアーニ、ピカソ、ブラックなど、総額1億ドルあまり)。
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1994年7月28日にフランクフルトのシルン美術館で発生した盗難事件は、まるでアクション映画さながらだ。狙われたのは、ロンドンのテート・ギャラリーから貸し出されていたウィリアム・ターナーの絵画2枚および、ハンブルク美術館から貸し出されていたカスパー・ダーヴィト・フリードリヒの『ネビア』(写真)。
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犯人はユーゴスラビアのマフィアで、3作品を盾にとって金銭を要求した。これに対し、警察は「コブラ作戦」を発動、覆面捜査官の投入や非公式の支払いなどを経て、作品は無事、元の持ち主のもとへ戻って来た。
写真:Wikipedia, Public Domain
続いてスコットランドの盗難事件を見てみよう。バクルー公爵の居城、ドラムランリグ城から盗み出された、レオナルド・ダ・ヴィンチの『糸車の聖母』だ。
写真:Wikipedia, Public Domain
この作品は2003年、警官を装った2人組の犯人の手で、ニュージーランド人観光客2人の目の前であっさり持ち去られてしまった。犯人は「訓練」だと言って観光客を騙したのだ。2007年に行方が突き止められ、現在はエジンバラにあるスコットランド国立美術館に保管されている。セキュリティ体制は以前に比べ、改善されたようだ。
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さて、次はスイスで2008年に発生した盗難事件だ。被害に遭ったのは、チューリッヒの起業家、エミール・ゲオルク・ビュールレが寄贈した「ビュールレ財団コレクション」だ。計4枚の絵画が盗まれ、総額は1億1,000万ドルあまりに上った。クロード・モネ作『ヴェトゥイユ近郊のひなげし畑』とゴッホ作『花咲くマロニエの枝』は10日後に発見されたが、セザンヌの『赤いチョッキの少年』がベオグラードでようやく見つかったのは2012年。ドガの『リュドヴィック・ルピック伯爵と娘たち』も、ある日チューリッヒに姿を現した。
写真:https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid = 3540022, Author: Claude Monet, Source: 1. Unknown, 2. Stiftung Sammlung E.G. Bührle, 3. ArtDaily.com, Public Domain
モネの代表作で、印象派の象徴ともいえるこの作品も1985年に盗難の憂き目に遭っている。犯人グループは入場券を買って美術館に入館すると、警備員9人と来館者40人を人質にして『印象、日の出』を盗み出したのだ。幸い、再発見されたこの作品は現在、パリのマルモッタン・モネ美術館に展示されている。
画像:https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid = 23750619, Author: Claude Monet, Source: art database, Public Domain
ここでご紹介したのは、数ある美術品盗難事件のほんの一部に過ぎない。未解決事件もあれば運よく戻って来た作品もあるが、いずれも私たちの想像を超えるような数奇な運命に翻弄されている。レオナルド・ダ・ヴィンチからムンクまで、カラヴァッジョからモネまで、傑作の盗難事件はまさに歴史の一幕なのだ。