『トップガン』アイスマン役のヴァル・キルマー、その栄光と挫折
1980年代から90年代にかけて高い評価を受けた若手俳優の一人、ヴァル・キルマー。トム・クルーズと共演した1986年の『トップガン』でブレイクしたが、やがてその名声に追い詰められ、キャリアには狂いが生じていった。
ここ数年はスポットライトから遠ざかり、重度の咽頭がんの後遺症と闘っている。今回は、そんなキルマーの人生をおっていこう。
1959年、キルマーはロサンゼルスに生まれた。クリスチャン・サイエンスを信仰する家庭に育ち、高校まではこの宗教団体が運営する学校に通っていた。高校からは名門のジュリアード音楽院演劇科へ移り、俳優のケビン・スペイシーらと共に情熱的に演技の道を追求した。
キルマーはブロードウェイの舞台『スラブボーイズ』で名を知られるようになった。同作品には、ケビン・ベーコンやショーン・ペンといった映画史に名を残すような俳優たちも出演している。
キルマーはコメディ映画『トップ・シークレット』(1984年)でスクリーンデビューした。そして、トニー・スコット監督の『トップガン』(1986年)で大ブレイク。
キルマーはこの映画でアイスマンを演じ、80年代半ばにハリウッドスターの仲間入りを果たすことになった。
また、ファンタジー映画『ウィロー』(1988年)では英雄的な騎士を演じ、コメディ俳優としてのみならず、アイドルとしての魅力も発揮した。
オリバー・ストーン監督の映画『ドアーズ』(1991年)では、ジム・モリソンを演じた。作品自体は賛否両論あったにもかかわらず、キルマーの演技は批評家たちから高く評価された。
1995年、キルマーはジョエル・シュマッカー監督の『バットマン フォーエバー』で主人公を演じ、撮影終了翌日には、ロバート・デ・ニーロやアル・パチーノらと共にマイケル・マン監督が指揮する『ヒート』の撮影に入った。
こうした作品に加え、『トゥルー・ロマンス』や『トゥームストーン』によってキルマーはハリウッドで最も人気のある俳優の一人となった。しかし、すべてがバラ色だったわけではない。
当時、キルマーは撮影現場での気性の激しさから、「サイコ・キルマー」と呼ばれていた。『エンターテイメント・ウィークリー』誌によれば、『バットマン フォーエバー』『セイント』『ドアーズ』などの共演者、監督、制作スタッフたちは、彼の攻撃性と無礼な態度に苦しんでいたという。
キルマーは、オーディション中に暴行を受けたとする女優や、タバコで顔にやけどを負わされたとする出演作品のスタッフから訴えられてもいる。キルマーのことを良く思わない監督たちもいて、ジョエル・シュマッカーは「彼はこれまで一緒に仕事をした中で最も精神面に問題のある人物」、ジョン・フランケンハイマーは「私は二度とエベレストに登らないし、ヴァル・キルマーと仕事をするつもりもない」と語っている。
キルマーはこうした言動から、大規模な映画プロジェクトから外されるようになり経済的に苦しくなった。『D.N.A./ドクター・モローの島』(1996年)は、興行的に失敗しただけでなく、キルマーのキャリアを大きく低迷させるきっかけになった。
2008年のリーマン・ショックもキルマーに大きな打撃を与えた。ニューメキシコ州に所有していた25㎢の牧場のほとんどを失ってしまったのだ。キャリアの低迷、ジョアンヌ・ウォーリーとの離婚、そして喉頭がんの発見と不幸な出来事が重なっていく。
2014年、キルマーは思いもかけない事態に見舞われた。自身が脚本・演出・主演を務める一人舞台『シチズン・トウェイン』を米国ナッシュビルで上演していたときに、喉にしこりを発見したのだ。
実は、がんの発見以前からすでに不自然なことが起こっていた。キルマーは自身の回顧録『I'm your Huckleberry』の中で、「ある夜、『ゴッドファーザー』のワンシーンのように、突然ベッド一面に血を吐いて目を覚ましたんだ」と語っている。
一連の検査の結果、キルマーは咽頭がんと診断された。当初、彼はSNSのフォロワーに対して病気のことを否定していたが、がん治療が始まるとついに発病を認めた。
キルマーにとり、がん治療を受けるということは命に関わるだけではなく、自身の宗教的信条を左右する重要な決断でもあった。というのも、彼は1879年にボストンでメリー・ベーカーによって創設されたクリスチャン・サイエンスの信者であり、この宗教は薬に頼らず祈ることが病気の治癒に最も効果的だとしているため、科学的ながん治療とは折り合いがつかなかったのだ。
幸いなことに、キルマーの家族は彼が咽頭がんの治療を受けるよう説得を試みた。当時の妻ジョアンヌ・ウォーリーと、二人の子供であるジャックとメルセデス・キルマーは、クリスチャン・サイエンスの教えに従うよりも科学的な治療を受けることを勧めたのだ。
「家族を怖がらせたくないという気持ちが強かった。家を出るべきだったかもしれないが、単純に家族と離れたくなかったんだ」とキルマーは『ニューヨーク・タイムズ』紙で語っている。
キルマーは、がんを克服する上で歌手兼女優の元恋人、シェールの存在が重要だったことを回顧録の中で強調している。彼が血を吐いた日、救急車を呼び病院に付き添ったのも彼女だった。
「私は血まみれだったが、シェールと目があった時グルーチョ・マルクスのように眉をピクピクさせたんだ......。酸素吸入マスクで口を塞がれるまで二人で大笑いしたよ」と振り返っている。
最終的にキルマーは化学療法と放射線療法を受け、がんを克服することができた。しかし、気管切開を受けたことで永遠に声を失うことになってしまった。
現在、キルマーはしゃべる時はのどに手を伸ばし、そこにあるボタンを押さなくてはならない。「この穴を塞がないと話すことができず、呼吸するか食べるかどちらかを選択しなければならないんだ。人目に付きやすいし、面倒な装置だよ」と、ドキュメンタリー映画『Val』の中で語っている。
しかし、キルマーは現在も映画やTVシリーズへの出演をできる限り続けている。
最近では、自身がブレイクを果たした80年代の大ヒット作『トップガン』の続編、『トップガン マーヴェリック』に短時間だか出演し、再びアイスマンを演じている。
「まったく時間が経っていないかのようだった…...大笑いしながら何テイクも撮ったよ。本当に楽しかった…...最高だったよ」
2022年のカンヌ国際映画祭でプレミア上映された『トップガン マーヴェリック』が、観客から5分間のスタンディングオベーションを受けたことを受け、キルマーは自身のインスタグラムアカウントに次のように投稿した。「『トップガン』への愛と評価を目の当たりにして圧倒された。とても幸せな気分だ」
今回参照したのは2020年に発売されコロナ禍でベストセラーとなったキルマーの回顧録『I'm your Huckleberry』だ。彼は本書を通じ、自身のキャリアと私生活の良い面も悪い面も明らかにしている。
2021年、監督のティン・プーとレオ・スコットが、キルマーの人生を綴った『Val』を共同で製作した。このドキュメンタリー映画は、本人が記録したプライベートビデオや未公開映像を交えながら、キルマーの40年のキャリアを振り返るものだ。ちなみに、彼の声は息子のジャックが担当している。
写真:キルマーの子どもメルセデスとジャック
最近では『ソング・トゥ・ソング』『スノーマン 雪闇の殺人鬼』『ミッシング・タワー』(いずれも2017年公開)などの他、『トップガン マーヴェリック』でアイスマンとして復活。その前にもフランスコメディの『1st Born』(2018年)や『The Birthday Cake』(2021年)といった作品に出演している。
私生活ではこの20年間パートナーがいないというキルマー。回顧録では2001年に交際していたダリル・ハンナが生涯の女性だったとしている。
回顧録の中でキルマーは「ずっと愛し続けると思う。今でもダリルのことが大好きなんだ」と綴った。
60代となったキルマーの今後はどうなるのだろう?きっと体力が続く限り、重度の後遺症と日々戦いながらも映像の世界と手を携えていくに違いない。