『ダーティ・ダンシング』のヒロイン、ジェニファー・グレイが後悔した整形手術
80年代、パトリック・スウェイジと共演した映画『ダーティ・ダンス』の大ヒットで、世界中の誰もが憧れるスターになったジェニファー・グレイ。しかしその後、彼女の人気は急速にしぼんでしまった。いったい何があったのだろうか。
人気が急に落ちたわけは、彼女が受けた鼻の整形手術にあった。それがきっかけで、せっかく有名になった彼女のキャリアは瞬く間に暗転してしまったのである。では、整形手術を受ける前、彼女はどんな人生を送ってきたのだろう?
『ダーティ・ダンス』で一躍有名になったジェニファー・グレイは、ニューヨークで1960年に生まれた。両親はジョエル・グレイとジョー・ワイルダーで、どちらも役者である。
ジェニファー・グレイは自伝『Out of the Corner』(2022年)のなかで、ニューヨークで過ごした青春時代を振り返っている。1970年代のニューヨークは非常に治安が悪かったことで知られており、彼女と同じく1960年生まれの画家、バスキアが10代を過ごした場所でもある。
ジェニファー・グレイは19才でようやくデビューを果たす。ハリウッドで活躍する他の役者たちのように、彼女にも機会が与えられ、ドクターペッパーの広告に起用されたのだった。
その4年後にジェニファー・グレイは映画デビューを果たす。1984年公開の『俺たちの明日』でのことだった。脚本はクリス・コロンバス、主演はエイダン・クインとダリル・ハンナ、監督はジェームズ・フォーリーである。デビュー作ながら、その演技は好評を博した。
これを皮切りにジェニファー・グレイは次々と有名な映画に出演した。そのなかには、フランシス・フォード・コッポラ監督の『コットンクラブ』やジョン・ミリアス監督の『若き勇者たち』などがある。
ジョン・ヒューズ監督の『フェリスはある朝突然に』(1986年)は、彼女のプライベートに変化を与えた作品でもあった。共演のマシュー・ブロデリックと知り合い、交際することになるのである。
ジェニファー・グレイとマシュー・ブロデリックはこっそりデートを重ね、その隠れた恋人関係を一年あまり継続した。『ダーティ・ダンス』の撮影が行われていたときも、二人が付き合っているとは誰も知らずにいたのである。
『ダーティ・ダンシング』(1987年)のフランシス・“ベイビー”・ハウスマン役は、ジェニファー・グレイを一躍スターダムに押し上げた。ジョニー・キャッスル役のパトリック・スウェイジとの燃え上がるような化学反応のおかげで、この青春恋愛ダンス映画は世界中で大ヒットした。
『ダーティ・ダンシング』の製作費は600万ドルで、興行収入は全世界でおよそ2億1600万ドルだった。サウンドトラックも大ヒットし、映画史上最も売れたサントラのひとつとなった。
ところで、映画撮影時、パトリック・スウェイジとジェニファー・グレイの関係はかなりぴりぴりしていた。スウェイジが自伝『The Time of My Life』(2009年)で語るには、撮影が再テイクとなったときに、彼女が子供じみた態度をとっていたことがその理由だという。
そんなことがありつつも、映画は無事に完成し、封切り日は1987年8月21日に決まった。だが運命とはわからないもので、ジェニファー・グレイは封切り日の少し前の8月5日、マシュー・ブロデリックが運転する車で事故に遭ってしまう。
ふたりは北アイルランドで休暇を過ごしていたのだった。ブロデリックが運転するBMWは対向車線にはみ出し、対向車と正面衝突する。この事故により、対向車に乗っていたマーガレット・ドハティさん(63才)とその娘アンナ・ドハティ・ギャラハーさん(28才)が死亡した。
この事故があったことで、『ダーティ・ダンシング』が大ヒットしてスターになったときも、そのことを手放しで喜ぶことはできなかった。ジェニファー・グレイは自伝でそう述べている。この次事故でマシュー・ブロデリックとの関係が明るみに出てしまったこともあった。
仕事の面では、『ダーティ・ダンシング』の大ヒットのあと、ジェニファー・グレイは休養期間をとることにした。映画スタジオにとってみれば、自動車事故の一件があり、さらに休養も重なったことで、彼女はやや起用しにくい女優になってしまった。
仕事のオファーがめっきり減って、ジェニファー・グレイの心はささくれ立っていく。そしてついには、母の言うことに耳を貸すようになったと彼女は自伝に書いている。母は娘に対して繰り返し、その"ユダヤ人の鼻"を手術したほうがいいと強く勧めていたのだった。
鼻の外見はともかくとして、たしかに彼女の鼻には空気の通り道が狭いという構造上の改善点があった。したがって、ジェニファーは鼻の手術をすることで健康面でもルックス面でも改善をはかろうとしたのだった。
そして手術が行われた。新しい鼻は彼女の気に入ったが、ある日、軟骨のかけらが鼻の先端にあることに気づいた。そこでふたたび手術を受けなければならなくなったが、しかし鼻の形状はそのままキープしたいと彼女は考えていた。当時、映画『ウインズ』の撮影が行われており、顔の造作をころころ変えるわけにもいかなかったのである。
その後、2度目の手術を経て、鼻はすっかり変わってしまった。「自分の目が信じられなかった。鏡を見ても自分の顔だと分からなかった」と、ジェニファー・グレイは自伝に書いている。「まるで新しいアイデンティティを与えられたような感じだった」
自分でも見違えてしまうのだから、他人はなおさらだった。家族はもちろん、家族よりも親しい友人のマイケル・ダグラスでさえ、彼女を見て他の誰かだと思った。
「許されない罪を犯したように思えた。自らすすんで、私を特別にしてくれる唯一のものを取り去ってしまったのだ」と、彼女は自伝に書いている。
それでも、ジェニファー・グレイはさらにいくつかの作品で主演をつとめた。映画『サイコ・アイ/売春婦連続惨殺事件』(1996年)、テレビドラマ『It's Like, You Know...』(1999〜2000年)などである。また、人気ドラマ『フレンズ』にもカメオ出演を果たしている。とはいえ、落ち目の女優という印象はぬぐいがたかった。
かつてのジェニファー・グレイは、アメリカの夢見る理想の恋人、“ベイビー”だった。しかし90年代には、マイナーな役しかもらえない地味な役者になっていた。21世紀に入っても、仕事面で状況が大きく好転することはなかった(もっとも、『Dr.HOUSE』や『グレイズ・アナトミー 恋の解剖学』といったドラマのカメオ出演はあった)。
この時期の彼女にとって初めての大きな役は、Amazonプライムビデオがもたらしてくれた。ドラマ『レッド・オークス』(2014〜2017年)である。3シーズン、26話からなるドラマで、ジェニファー・グレイは主人公の母親役として計21話に出演している。
2010年には、リアリティ番組『ダンシング・ウィズ・ザ・スターズ』(社交ダンス勝負をする番組)のシーズン11で、彼女はデレク・ハフと組んで優勝を収めた。
彼女はまた、2019年公開の映画『Bittersweet Symphony』の主演をスキ・ウォーターハウス、ポピー・デルヴィーニュとともにつとめている。だがこの映画は、可も不可もない作品として受け止められたようである。
目下のところ、ジェニファー・グレイが最も力を入れているのはSNS上の活動である。彼女は自身のSNSに、手術前の自分の写真を投稿している。それを見ると、2度の手術で鼻の形がすっかり変わったことがわかる。
写真:Instagram (@jennifergrey)
マーベル・スタジオのアニメーション作品の『ホワット・イフ...?』のシリーズではないけれど、もしもジェニファー・グレイが鼻の手術をしなかったら、どうなっていたかとファンであれば考えてしまう。だが、やはり過去のことは過去のことで、いくら悔やんでも変えようがない。そこに教訓を読み取って、前向きに生きていくしかないだろう。