匿名で慈善活動をしていた「ワム!」の故ジョージ・マイケル
名曲『ラスト・クリスマス』で知られる英ポップデュオ「ワム!」のジョージ・マイケルは、輝かしいキャリアを築いた反面、薬物依存や公然わいせつによる逮捕など数々のスキャンダルでも紙面をにぎわせた。しかしその死後、マイケルが匿名で慈善活動を行っていたことが、さまざま人の証言を通じて明らかになった。
ジョージ・マイケル、本名イェオルイオス・キリアコス・パナイオトゥは2016年12月25にこの世を去った。まだ53歳で、世界中のファンや友人はその訃報に大きな衝撃を受けた。
死因は当初不明だったが、その二日後に彼のマネージャーから、ジョージ・マイケルは英国オックスフォードシャーのゴーリング・オン・テムズにある自宅にて、心不全のため睡眠中に亡くなったとの発表があった。
やがて、ジョージ・マイケルと生前関わりのあった人々は、故人がいかに寛大な心の持ち主であったかを示すエピソードを、インタビューやソーシャルメディアなどを通じて語り始めた。
それらの証言から見えてくるのは、ジョージ・マイケルが困難な状況にある個人や組織に対して、惜しみなく援助の手を差し伸べていたということである。しかも、支援の際にはつねに自分の名前を伏せていたというのだ。
もちろん、匿名ではない慈善活動に参加したこともある。ボブ・ゲルドフ、ボノ、フィル・コリンズ、ボーイ・ジョージ、デュラン・デュランといった80年代のスターたちと一緒に、チャリティソング「Do They Know It's Christmas」(1984年)に参加したのだ。これは当時エチオピアで発生していた飢饉を受けて発足したプロジェクトだった。
このチャリティソングの経験があり、ジョージ・マイケルは「ワム!」の大ヒット曲『ラスト・クリスマス』(1984年)などであげた収益を、さまざまな人道支援団体に継続的に寄付するようになったようだ。
また、ジョージ・マイケルはチャリティコンサートにも多数参加している。アフリカ難民救済を目的として開催された20世紀最大のチャリティコンサート「ライヴエイド」(1985年)をはじめ、「Stand By Me AIDS Benefit Concert」(1987年)、「Freddie Mercury Tribute」(1992年)、「Rock for the Rainforest」(1993年)、「Concert of Hope」(1993年)、「The AIDS Benefit in England」(1994年)、「NetAid Festival」(1999年)、「Equality Rocks」(2000年)、「Live 8」(2005年)などだ。
英国の児童保護慈善団体ChildLineや、がん患者のための英国最大の慈善団体「Macmillan Cancer Support」、HIV感染者のための「Terrence Higgins Trust」に対しても、ジョージ・マイケルはアルバムのヒットで手にした収入から大口の寄付を行っており、その額は数百万ドルに上るという。
団体だけではなく、ジョージ・マイケルは個人に対しても寛大な行いをしていた。あるとき、不妊治療のための資金を得るべくゲーム番組に出演したものの、賞金を逃してしまった女性がいた。すると、その翌日にマイケルから突然の電話があり、治療費にあたる1万5,000ポンドの寄付の申し出がなされたという。
またある女性は借金に苦しみ、カフェの席で涙をこぼしていた。ちょうどそこに居合わせたマイケルは、その不幸な女性に2万5,000ポンドの小切手を進呈したという。その渡し方も粋だった。彼はウェイトレスにことづけて、自分が退店してから小切手を渡すよう取り計らったのだ。
英ラジオ「キャピタルFMラジオ」の名物キャスター、ミック・ブラウンによると、彼がクリス・タラントと一緒にラジオ番組に出演していたとき、ロンドン在住の難病の男の子を助けるために寄付を募ったところ、マイケルから電話で10万ポンドの寄付の申し出があったという。
そのほかにも、ジョージ・マイケルは国内各地にあるさまざまな慈善団体を支援していた。彼の寛大な寄付のおかげで事業を継続できているという声が、死後に多く寄せられている。
さきほど述べたように、マイケルは虐待を受けた児童やがん患者、HIV患者を支援する慈善団体に多額の寄付をしてきたほか、ロンドン北部の施設でクリスマスツリーを飾る手伝いをしたり、ホームレスのためのシェルターでボランティア活動にも取り組んでいた。
彼のキャリアにおける最大のスキャンダルは、1998年にロサンゼルスの公衆トイレで「淫らな行為」に及んだとして現行犯逮捕されたことである。事件の直後、マイケルはゲイであることをカミングアウトした。
人権活動家のピーター・タッチェルは、このときマイケルがとった一連の行動をゲイとしての権利を守るための反抗的カミングアウトであったと位置付け、ホモセクシュアル・コミュニティ全体に大きな影響を与えたと論じている。
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