「ロクセット」のボーカル、マリー・フレデリクソン:悲劇の人生と音楽

「ロクセット」で一世を風靡
悲劇的な人生
「ロクセット」はバンド名
5人きょうだいの末っ子
姉の死
デビュー後の活動
「ロクセット」誕生
注目を浴びたアルバム
「The Look」の世界的ヒット
『プリティ・ウーマン』のサウンドトラック
「ロクセットヘア」
4本のアルバム
結婚と子供の誕生
てんかんの発作
余命1年の宣告
化学療法の副作用
復活のステージ
初のソロアルバム
『Good Karma』
自伝『Listen to My Heart: Life, Love & Roxette』
音楽史に残る歌手の若すぎる死
「ロクセット」で一世を風靡

スウェーデンのバンド「ロクセット」でボーカルを務めたマリー・フレデリクソン。彼女が2019年にこの世を去ったとき、相方のペール・ゲッスルは「私が作曲した白黒の曲を綺麗な色で塗ってくれてありがとう」という追悼メッセージを捧げた。

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悲劇的な人生

あまり知られていないが、21世紀に入ってからマリー・フレデリクソンが送った日々は病気と手術、化学療法という試練に満ちたものだった。それどころか、人生そのものが悲劇的だったといっても過言ではない。

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「ロクセット」はバンド名

「ロクセット」というのはあくまでバンド名。ボーカルの本名はギュン=マリー・フレデリクソンであり、相方のペール・ゲッスルとデュオを組んで活動していた。

5人きょうだいの末っ子

スウェーデン南部のスコーネ地方で誕生したマリー・フレデリクソン。自伝『Listen to My Heart: Life, Love & Roxette』によれば、5人きょうだいの末っ子だったそうだ。

 

姉の死

父の勧めで歌やピアノを学び作曲を始めたマリーだったが、一番年上の姉、アンナ=リサが交通事故で早世したことに衝撃を受け、人生の厳しさを思い知らされる。

 

デビュー後の活動

マリーは70年代末に初めてのバンド「Strul」を結成。その後、さらに別のグループ「MaMas Barn」を立ち上げる。後にデュオを組むこととなるペール・ゲッスルと出会ったのもこの頃だ。ペールは自身のバンド「Gyllene Tider」のプロデューサーを呼んでマリーのオーディションを行い、レコード会社のEMIがただちに契約を決めたという。

「ロクセット」誕生

マリーとペールはわずか5年ほどでスウェーデンを代表するミュージシャンに成長し、かの「ABBA」に匹敵すると見なされるようになっていた。そんな2人にレコード会社はデュオの結成を提案。こうして、1986年に「ロクセット」が誕生した。

 

 

注目を浴びたアルバム

ファーストアルバム『Pearls of Passion』(1986年)はあまり注目されなかったものの、続く『Look Sharp!』(1988年)には、「Dressed for Success」「Listen to Your Heart」「Dangerous」そして「The Look」といったヒット曲が目白押し。これをきっかけに米国デビューへの道が拓かれることとなる。

 

「The Look」の世界的ヒット

「The Look」は1989年4月、米国を筆頭に30ヵ国のチャートでトップに躍り出る。その結果、全世界でのシングル売り上げは3,000万枚に到達。結成3年目にして記録を打ち立てた「ロクセット」だが、快進撃はまだまだ続いた。

 

『プリティ・ウーマン』のサウンドトラック

同じ年、タッチストーン・ピクチャーズから映画『プリティ・ウーマン』用の曲を提供してほしいという依頼があったのだ。そこで、ペール・ゲッスルはクリスマスシーズンに向けて準備していた「It Must Have Been Love」を提供。この曲は映画史に残るリチャード・ギアとジュリア・ロバーツのキスシーンで流れ、20ヵ国のチャートでトップになった。

 

「ロクセットヘア」

90年代に全盛期を迎えた「ロクセット」。マリーも一躍音楽シーンのアイコンとなり、その特徴的な金髪ショートヘアは「ロクセットヘア」と呼ばれるほどだった。

 

 

4本のアルバム

2人は90年代を通じて4本のアルバム『Joyride』(1991年)、『Tourism』(1992年)、『Crash! Boom! Bang!』(1994年)『Have a Nice Day』(1999年)をリリース。一方、マリーの人生はこの時期に大きな転機を迎える。

結婚と子供の誕生

マリーは1994年5月にスウェーデン人のミュージシャン、ミカエル・ボリョスと結婚したのだ。夫婦の間にはジョセフィンとオスカルという2人の子供が誕生し、ツアーやプロモーション、レコーディングの一方で充実した私生活を送っていた。

てんかんの発作

ところが、 2002年9月にマリーの人生を一変させる事件が起こる。てんかんの発作に見舞われて転倒し、頭蓋骨を骨折してしまったのだ。

 

余命1年の宣告

しかも、てんかんの原因は脳腫瘍であり、余命1年というショッキングな宣告が下される。しかし、当時44歳のマリー・フレデリクソンが、そう簡単に人生を諦めるはずはなかった。

 

 

 

化学療法の副作用

とはいえ、化学療法の副作用で視力と右耳の聴力を失ったばかりか、短期記憶に問題が生じ、発話や読み書き、歩き方をもう一度習得しなくてはならなかったという。しかし、2004年以降は一層積極的に回復を目指して、努力を続けていた。

 

 

復活のステージ

マリーは自伝の中で、病気による苦痛は耐えがたかったが、音楽が大きな慰めになったと語っている。一時は自分の曲の歌詞を忘れてしまうほどだったというが、2011年にはステージに舞い戻り、感動の復活を果たした。

初のソロアルバム

その2年後には、初のソロアルバム『Nu!』をリリース。2016年には「ロクセット」結成30周年を記念してワールドツアーが計画されたが、マリーの体調悪化のため中止を余儀なくされてしまった。

『Good Karma』

それでも2人は最後のアルバム『Good Karma』(2016年)をリリースし、売り上げ7,500万枚という驚異的な記録を打ち立てる。

 

自伝『Listen to My Heart: Life, Love & Roxette』

マリーはさらに、スウェーデン人ジャーナリストのヘレナ・フォン・ツヴァイクベルクの助けを借りつつ自伝を執筆。この作品は2019年、マリーの死後に出版される運びとなった。

 

 

音楽史に残る歌手の若すぎる死

2019年12月9日に61歳の若さでこの世を去ったマリー・フレデリクソン。長年にわたってデュオを組んできたペール・ゲッスルはバラード「Around the Corner」を作曲し、音楽史に残る歌手の死を悼んだ。

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