「ニルヴァーナ」のボーカル、カート・コバーンの一人娘:波乱万丈の生い立ち
ミュージシャンの母、コートニー・ラブとグランジ音楽のレジェンドで父の故カート・コバーンの間に誕生したフランシス・ビーン・コバーン。そんな彼女が30歳を迎えたというニュースは、往年の「ニルヴァーナ」ファンにとって時の流れを実感させるものだったはずだ。
しかし、わずか27歳で謎の死を遂げた父カートから多くを受け継いだフランシスは、Instagramで30歳まで生きられる自信がなかったと告白した。
写真:Instagram@thespacewitch
フランシスは8月18日、記念すべき30歳の誕生日を「30歳、達成!」という投稿で祝い、数々の写真をシェアした。
そして、死を覚悟するほど苦労した経験について振り返った。いわく「正直なところ、20歳のころの私は30歳まで生きられる自信がなかった」とのこと。
「あの頃は、不安からくる本能的な深い自己嫌悪や自己破壊的な衝動、身体や脳の限界を超えるようなトラウマで、私自身やこの世界を正しく見つめることができなかった」と当時を振り返るフランシス。
さらに「これほどの混乱や、避けがたい悲しみをもたらす苦痛に満ちた日々を生きた人間として、苦い思いを通してだけど……」
2017年には搭乗していた飛行機の片翼が燃え上がるというアクシデントに遭遇、大きな衝撃を受けたという。
誕生日の投稿では「でも皮肉なことに、死を覚悟したあの出来事のおかげで、それまでの経験を正しくとらえ、前向きな気持ちで振り返ることができたの」とした。
写真:Instagram@thespacewitch
フランシスが心の問題を克服するのに役立ったのは「前向きに生きる」という姿勢だったようだ。
写真:Instagram@thespacewitch
富と名声に恵まれた両親を持つフランシスは生まれる前から有名人だった。彼女の超音波写真は「ニルヴァーナ」が1992年にリリースした「Lithium」のカバーに使われたほどだ。しかし、だからといって順風満帆の人生が待っているわけではなかった。
1992年、ロサンゼルスで誕生したフランシス・ビーン・コバーン。名前はロックバンド「ヴァセリンズ」のギタリスト、フランシス・マッキーにちなんで両親が付けたものだ。
しかし、両親は当時、薬物依存に陥っており、児童相談所が介入する事態になってしまった。
フランシスがわずか生後2ヶ月の時に、両親は親権を失うことになってしまったのだ。
激しい法廷闘争の末、両親のコートニーとカートはようやく娘の親権を取り戻すことができたという。
しかし、両親の薬物依存はフランシス・ビーン・コバーンの人生に大きな影響を及ぼし続けることとなる。
母コートニーが『The Fix』誌に語ったところによれば、彼女がフランシスを妊娠していたときですら「カートはヘロインを吸っていた」という。そして、その習慣は亡くなるまで治らなかったと言われている。
写真: Instagram@courtneylove
実際、チャールズ・R・クロスが出版したカートの伝記『Heavier than Heaven』によれば、フランシスが生きている父の姿を最後に見たのは1994年4月1日、薬物依存症患者のリハビリ施設「Exodus Recovery Center」だったという。その一週間後には、シアトルの自宅で亡くなっているのが発見されることとなる。
写真:Instagram@thespacewitch
父がこの世を去っても、事態はそれほど改善しなかった。母も薬物依存だったからだ。
2009年の『デイリー・メール』紙上でフランシスは、「私が物心ついたときから母は薬物依存で、ザナックスやアデラール、ソナタ、アビリファイのおかげで生きているようなものだった」と打ち明けた。
しかも、フランシスが幼いころ、母のコートニー・ラブは薬物がらみの犯罪で何度も逮捕されており、リハビリ施設の入退院を繰り返していたのだ。
画像:Sky News
「ABCニュース」の報道によれば、コートニーは2001年から2004年にかけて「薬物を使用しており、自分の書いたものにはまったく意味がなかった」と回想しているという。これはフランシスが10代を過ごした時期と重なっている。
実際、フランシスが11 歳だった2003年、コートニーは再び娘の親権を失うこととなった。
音楽チャンネル「MTV」によれば、当時11歳だったフランシスは母の薬物過剰摂取やその後の逮捕劇を目の当たりにしてしまったという。
その結果、父方の祖母ウェンディ・オコナーや父の妹キンバリー・コバーンがフランシスの面倒を見ることが多くなった。
写真:ウェンディとキンバリー(ニューヨーク、2014年)
薬物依存に苦しむ一方、娘の親権を取り戻したいと願っていたコートニー・ラブ。2005年にリハビリ施設を退院すると法廷に向かい、「娘のことが一番大事」だと述べた。
しかし、親権を取り戻してからわずか数か月後には、CNN放送がコートニーの保護観察違反を報道。
17歳を迎えたフランシスはわずらわしい家庭環境から解放されるため、祖母と一緒に暮らすという決断を下す。
その2年前、フランシスは『ハーパーズ・バザー』誌のインタビューで「祖母はどんなときも見守ってくれた」とコメントしていた。
その結果、コートニーは再び娘の親権を喪失。薬物依存から抜け出せないことで多くの批判を浴びることとなった。
しかし、コートニーは『ピープル』誌に対し、「フランシスは17歳で意思の強い子です。これは彼女自身が下した決断です」と語っている。
とはいえ、薬物依存の母を持つというのは容易なことではない。このことがフランシスの成長に影を落としたのは間違いないだろう。
実際、2018年にはポッドキャスト「RuPaul: What's the Tee?」の中で「私は長い間、不満でイライラしたり、ムカムカしていました」と打ち明けている。
それでも、「健康できちんとしているときは」母が好きだという。
ただし、母の依存症についてできることはあまりないと分かっているらしく、「私が意見しても、母は思いとどまってくれないだろう」と打ち明けている。
母親の薬物依存を疎ましく思っていたフランシスだが、実は彼女自身も薬物依存に悩まされたことがある。
しかし、2016年頃には薬物依存を脱することに成功。
ポッドキャスト「RuPaul: What's The Tee?」の中で、フランシスは「薬物とは無縁の友達」がカギだとコメントしている。
いわく「もう無責任な行動はしていない。熱狂的で依存しやすい傾向はあるけれど、そのエネルギーは健全なアクティビティに向けているの」とのこと。
2018年、フランシスは薬物を絶って2年経ったことをInstagramで報告。しかし、この投稿は削除されてしまった。
『ピープル』誌によれば、フランシスは「自己破壊や薬物使用で苦しみから逃れるのは安易な手段。今を生きるという選択は、私自身だけでなく周囲の人々にとっても最高の決断だったはず」と書いたという。
不安定な子供時代や薬物依存に悩まされながらも、自分の道を切り開きつつあるフランシス。すでに何年もモデルとして活動しており、ファッションブランド「マーク・ジェイコブズ」の顔に起用されたこともある。
また、アーティストとしてInstagramや展覧会を通じて作品を世に送り出している。
また、プライベートも充実しているようだ。2022年1月には、伝説的スケートボーダー、トニー・ホークの息子ライリー・ホークとの交際をInstagramで明かしている。
写真:Instagram@thespacewitch