若き日のドナルド・トランプ:元大統領のスキャンダラスな青春時代とは

若き日のトランプ元大統領とは
トランプ一家
父の後を継いで
社交界デビュー
「謝ってはいけない、必ず言い返せ」
軍人教育
大学生活
成績は……イマイチ?
兵役逃れ?
立身出世は自力?
本当の融資額
25歳の若さでトップに
イヴァナ・ゼルニチコヴァ
人種差別に対する苦情
セレブへの転身
トランプタワー
不法滞在者の利用
フロリダ州のビーチ、マー・ア・ラゴ
ハイリスクな賭け
ニュージャージー・ジェネラルズ
目論見は失敗
大きくなり過ぎた事業
本人は破産回避
大富豪のイメージ
ショービジネスでも活躍
ホワイトハウスへの道
若き日のトランプ元大統領とは

不動産王からテレビの常連を経て米国大統領の座に登りつめた、良くも悪くも有名な男、ドナルド・トランプ。今回は子供時代までさかのぼって、この男の秘密に迫ろう。

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トランプ一家

フレッド・トランプとメアリー・アン・マクラウドの子として、1946年にニューヨークで誕生したドナルド・ジョン・トランプ。

 

父の後を継いで

ドナルド・トランプの父は不動産業界で働いていたが、長男が家業を継がずにパイロットになる道を選んだため、若きドナルドが後継者としての期待を一身に背負うことになった。

 

社交界デビュー

父フレッド・トランプは、息子にニューヨーク社交界の重要人物たちとコネを作らせようと躍起になった。写真は1980年代初頭のドナルド・トランプ。一緒に写っているのはニューヨーク市長のエド・コッチと、強硬な右派でトランプのメンターともなったロイ・コーン。

「謝ってはいけない、必ず言い返せ」

1950年代のマッカーシズムを背景に共産主義者の排斥を推し進めたコーンは、若きドナルド・トランプに「謝ってはいけない、必ず言い返せ」という教えを授けた。しかし、一連のスキャンダルでロイ・コーンが失脚すると、トランプはすぐに距離を置き始めた。コーンは1986年にエイズによる合併症でこの世を去った。

軍人教育

未来の大統領は13歳でニューヨーク士官学校に入学。野球チームのキャプテンを務めた彼は、卒業アルバムで「プレイボーイ」の称号を頂戴している。

写真:ニューヨーク士官学校の卒業アルバム(1964年)

大学生活

フォーダム大学に進学したドナルド・トランプ(写真一列目、左から3番目)だが、2年後にはペンシルベニア大学のビジネススクールに転校。1968年に学位を取得して卒業した。

写真:ニューヨーク士官学校の卒業アルバム(1964年)

成績は……イマイチ?

2015年、当時トランプ大統領の弁護士を務めていたマイケル・コーエンは、母校が彼の成績を発表した場合、法的措置に訴えると揺さぶりをかけた。

写真:ニューヨーク士官学校の卒業アルバム(1964年)

兵役逃れ?

ドナルドが大学生活を謳歌していたころ、世界ではベトナム戦争が激化していた。彼は4度の徴兵延期の末、1972年には骨棘を患っていると診断され、徴兵不適合となった。しかし、このことは後に議論を巻き起こす原因となった。

 

立身出世は自力?

1970年代、ニューヨークのビジネス界でドナルド・トランプは台頭し始めていた。本人いわく、父親から百万ドルという「少額の融資」をしてもらって事業に乗り出したらしい。

本当の融資額

しかし、フレッド・トランプの融資額が実は6,000万ドル近かったことを『ニューヨーク・タイムズ』紙が暴露。しかも、この金額には委託金や現金の譲渡などは含まれていないという。

25歳の若さでトップに

25歳の若さで『トランプ・オーガナイゼーション』の会長に任命されたドナルド・トランプ。初期の成果として、ジェイコブ・ジャヴィッツ・コンベンション・センターの建設やグランド・セントラル駅そばのグランド・ハイアット・ホテル開発の競走入札に勝利したことが挙げられる。

イヴァナ・ゼルニチコヴァ

1977年にはチェコ人モデル、イヴァナ・ゼルニチコヴァと結婚。夫妻にはドナルド・ジュニア、イヴァンカ、エリックの3人の子供が誕生することになる。

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人種差別に対する苦情

この頃、未来の大統領には最初のスキャンダルが巻き起こっていた。司法省の調査によって、トランプ所有の不動産では黒人の入居申請が自動的に拒否されていることが判明したのだ。

 

セレブへの転身

1980年代はドナルド・トランプにとって、有力なビジネスマンからセレブへの転身を果たした10年だった。ただし、悪名の高さでセレブになったということもできる。

 

トランプタワー

5番街におけるトランプタワーの建設は計画段階からスキャンダルがあった。58階建ての超高層ビル建設にあたり、歴史的建築物となっていた百貨店ボンウィット・テラーを取り壊したのだ。

不法滞在者の利用

1990年の『ニューヨーク・タイムズ』の記事によれば、トランプタワーの建築現場でポーランドからの不法移民が200人以上働かされていたことについて、当のドナルド・トランプは知らなかったと述べたという。

フロリダ州のビーチ、マー・ア・ラゴ

一方、彼の事業はニューヨークの外にも拡大を続けていた。1985年にはフロリダ州パームビーチのマー・ア・ラゴを買収している。

写真:マー・ア・ラゴで1996年に開催された「ザ・ビーチ・ボーイズ」のコンサートにて。トランプの膝に座っているのは娘のイヴァンカ。

ハイリスクな賭け

名を挙げたトランプはアトランティックシティでホテルやカジノの開発にも着手した。しかし、中にはトランプ・タージマハル・カジノのように開業後たちまち破産してしまったものもある。

 

ニュージャージー・ジェネラルズ

しかし、1980年代にはプロスポーツの世界にビジネスチャンスを見出し、飛び込んだ。1983年には米国フットボール・リーグ(USFL)に属するアメフトチーム、ニュージャージー・ジェネラルズのオーナーになったのだ。

目論見は失敗

USFLは、すでに地位を確立していたナショナル・フットボール・リーグ(NFL)のライバルだった。トランプはUSFLを秋冬制に変更してNFLとの合併を図ったが、長い法廷闘争の末、USFLは1986年に解散することになった。

大きくなり過ぎた事業

ドナルド・トランプにとって逆風が吹き荒れた1990年代。その後の20年間で彼の所有するホテルやカジノののうちいくつかは破産してしまった。

本人は破産回避

しかし、そこで音を上げるトランプではなかった。実際『ニューズウィーク』誌の2011年のインタビューにはこう答えている:「破産法を手玉に取っているのさ。まったくありがたい法律だよ」

 

大富豪のイメージ

しかし、長年培ってきた大富豪のイメージのおかげで、事業や製品、広告などあらゆる場面で知名度を売って生活することができた。たとえ、もう以前ほどの大金持ちでなかったとしても。

ショービジネスでも活躍

結局、活動の場をショービジネスに移したドナルド・トランプ。ミスUSAのメインスポンサーとなったほか、2000年代にはリアリティショーの司会者も務めた。

写真:2006年のレスリングイベントにて。

ホワイトハウスへの道

そして、以降はご存じの通り、ホワイトハウスへの道を突き進むのであった。

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