現代史の各瞬間を切り取った写真たち:ケネディ大統領暗殺、ベトナム戦争反対運動...
1989年、東西ドイツを分断していた「ベルリンの壁」が壊されると、ドイツの若者たちは冷戦の象徴である壁によじのぼり自由と統一を祝って喜びを爆発させた。
1985年に『ナショナル・ジオグラフィック』誌の表紙となったこのポートレイトは、当時12歳の少女のもの。写真家のスティーヴ・マッカリーが、1984年12月にパキスタンの難民キャンプで撮影した。フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』を思わせる端正な構図だが、カメラにまっすぐ向けられた目は、悲しみと恐怖を訴えるかのように大きく見開かれている。
2001年9月11日に発生した同時多発テロ事件では、多くの衝撃的な画像が記録された。ハイジャックされた旅客機がニューヨークのワールドトレードセンターに激突し、世界中の人々を震撼させた。
黒煙を上げて燃え、やがて崩れ落ちるタワーの様子は全世界に生中継された。
60年代後半、アメリカ国内では長引くベトナム戦争への反対運動が最高潮に達していた。この写真には、「ベトナム戦争終結のための全米動員委員会」が主導したペンタゴンへのデモ行進中、抗議者の一人が憲兵隊の提げた銃の銃身にカーネーションを差し入れる瞬間が捉えられている。
1989年6月4日未明、民主化を求めて北京の天安門広場に集まり座り込みをしていた市民や学生に対し、軍隊が戒厳令を背景として無差別銃撃を行った。多数の死傷者を出したこの事件は、「天安門事件」あるいは「六四天安門事件」と呼ばれている。その翌日、事件の鎮圧のために移動中だった戦車列の行手に、一人の男性が立ちはだかった。彼の氏名は不詳で、「無名の反逆者」「戦車男」などと呼ばれている。
フランスの写真家ロベール・ドアノーが撮影した写真『パリ市庁舎前のキス』は、とてもドラマチックなモノクロ写真だ。東京都写真美術館の外壁にも大きくディスプレイされている。撮影者はカフェのテラス席に座っており、街路を通りかかった通行人のカップルがキスを交わす決定的瞬間を偶然とらえたというふうの写真であるが、じつは二人は役者であり(演劇学校の学生)、ドアノーは二人にキスをしてもらったことが後に明かされた。つまり、演出があったのだ。
写真:Unplash / Kasuo Ota
この写真は『パリ市庁舎前のキス』へのオマージュとして、2013年のウクライナ・キーウで撮影された。現在の戦争はこの車両に乗り合わせた人々の人生を大きく変えてしまったことだろう。
1929年の株式大暴落をきっかけとして始まる大恐慌の時代、それ以前から農業は恐慌に陥っており、旱魃なども重なって農業地帯は困窮をきわめた。そのような事態を受けて、1930年代にはニューディール政策の一環で農民の救済を目的とする「農業保障局(FSA)」が組織され、FSAプロジェクトと呼ばれる記録写真プロジェクトが実施された。この写真は、同プロジェクトに参加したドロシア・ラングがカリフォルニアの農村で撮影したもの。
エチオピアでは干魃が頻発しており、特に1970年代には異常気象により大旱魃が発生、現地は深刻な飢餓に見舞われていた。この写真は1974年に撮影された。
相対性理論の生みの親、アルベルト・アインシュタインの72歳の誕生日(1951年3月14日)の祝賀会の後に撮影されたのが、この有名な舌出し写真である。このポートレイトを本人も気に入ったとか。
キューバ出身のアルベルト・コルダが撮影した革命家チェ・ゲバラの写真は、反体制の象徴として世界中に伝播し、のちには単なるファッションデザインとして使われるようにもなった。
20世紀を代表する芸術家マン・レイ。写真に写っているのは本当の涙ではなく、ガラス玉でできた涙である。
1945年8月6日(月曜日)、午前8時15分、広島市の上空で原子爆弾が炸裂し、数多くの無辜の市民の生命を奪い、生き延びた人々の心と体にも癒えることのない傷を残した。その3日後の8月9日、午前11時2分、長崎市街中心部から少し北に外れた浦上地区の上空で原子爆弾が炸裂し、同地区に核の爆風と熱線を浴びせた。浦上天主堂内にいた人々は全員死亡した。写真はヒロシマの爆心地。
NASAが打ち上げたアポロ11号には3名の宇宙飛行士が搭乗しており、1969年7月、ソ連に先んじて有人の月面着陸を成功させた。この写真はそのときの足跡である。
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