故ロバート・F・ケネディ元司法長官の妻、エセル・ケネディが96歳で逝去
今月10日、1968年に暗殺された元米司法長官ロバート・F・ケネディ(ジョン・F・ケネディ元米大統領の実弟)の妻、エセル・ケネディが96歳で亡くなった。
エセル・ケネディの孫である元米連邦下院議員ジョー・ケネディ三世が、SNSへの投稿を通じて祖母の死を明らかにした:「残念なことに、愛する祖母エセル・ケネディが死去しました」
ジョー・ケネディ三世はこの投稿を通じ、エセル・ケネディは「先週脳卒中で倒れた後に合併症を発症し、今朝他界しました」としている。
さらに、エセル・ケネディについて「敬虔なカトリック教徒であり、毎日神に祈りを捧げていました。天に召された今は、先立った夫ロバート・F・ケネディと再会を果たしていることでしょう」と綴った。
エセル・ケネディは旧姓をエセル・スカケルといい、後の夫となるロバート・F・ケネディに出会ったのは1945年、わずか17歳のときだった。マンハッタンヴィル大学の同級生にロバートの妹であるジーン・ケネディがおり、ケネディ家のスキー旅行に誘われて知り合ったという。
スキー旅行をきっかけにロバート・F・ケネディが交際を始めたのはエセルの妹パトリシアの方だったが、やがて破局。その後、ロバートとエセルの関係が始まった。
約4年の交際を経て、エセルとロバートは1950年に結婚。20代前半という若い二人の門出を祝うために大勢の人々が集まった。
結婚から6年後、エセルはすでに5人目の子供を妊娠していた。家が手狭になったことから一家はワシントン郊外のバージニア州マクリーンに転居した。新居は13の寝室を備えた「ヒッコリーヒル」で、ロバートの兄でのちにアメリカ大統領となるジョン・F・ケネディから購入したものだという。
「ヒッコリーヒル」を舞台に行われたケネディ家のパーティーは20世紀のアメリカ上流社会の歴史そのものであり、ハリウッド俳優や実業家、スポーツ選手、作家など各分野の有名人が集まったとされる。
1968年3月、エセルの夫ロバート・F・ケネディは民主党の大統領選への出馬を表明。6月に民主党予備選挙で勝利したものの、その数日後に祝勝会を行ったロサンゼルスのホテル内で暗殺されてしまった。当時11人目の子供を身ごもっていたエセルはすぐに夫のもとに駆けつけ、翌日亡くなるまでそばを離れなかったという。
夫ロバートのほかにも、エセルは身近な人々を早くに失う悲劇に見舞われている。両親は1955年に起こった飛行機事故で他界し、1966年には兄ジョージ・スカケル・Jrも飛行機事故で逝去。ロバートとの間に生まれた11人の子供のうち、1984年にはデヴィッドが薬物過剰摂取により亡くなり、1997年にはマイケルがスキー事故でこの世を去った。
つらい別れを数多く経験しながらも、エセル・ケネディは夫ロバートとともに貧困との闘いや環境保護等の活動に積極的に取り組んだほか、夫の死後にはその人権活動を引き継ぐために「ロバート・F・ケネディ記念センター」を設立した。
2014年、エセル・ケネディは当時のバラク・オバマ大統領から大統領自由勲章を授与した。同勲章は米国の民間人に授与される勲章としては最高位のものだ。