中山美穂さんの葬儀が営まれる
12月12日、中山美穂さんの葬儀が営まれたことを、喪主を務めた妹の中山忍さんが報告した。中山美穂さんの公式サイトを通じ、次のようにファンに呼び掛けた:「どうか皆さま、姉のとびきりの笑顔を、空を見上げたその声を、その歌声を、その指先を、忘れないでいてあげてください」
12月6日、女優での中山美穂さんの逝去を共同通信をはじめとするメディアが報じた。54歳だった。
画像:Instagram@_miho_nakayama_
中山さんは、1980年初頭にアイドルとして芸能界でキャリアをスタートさせ、現在は女優や歌手として活動していた。
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「エンターテイメント・トピックス」によれば、中山さんは1970年3月1日に長野県佐久市で生まれ、その後母親の再婚により東京都に引越しそこで育ったという。
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『サンケイスポーツ』紙によれば、中山さんは1982年に東京の原宿でスカウトされ、モデルとして芸能界に入った。そして、1985年にTBS系ドラマ『毎度おさわがせします』で女優デビューを飾る。
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同紙によれば、同じ年にキングレコードのオーディションに合格し、音楽活動も開始。1985年6月21日に「C」で歌手デビューした。さらに『ビー・バップ・ハイスクール』で映画初主演も果たしたという。
画像:東映株式会社
1985年に女優そして歌手としてデビューを果たしたばかりか、同年の日本レコード大賞では最優秀新人賞を獲得している。
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代表曲には『色・ホワイトブレンド』(1986年)『WAKU WAKUさせて』(1986年)『遠い街のどこかで…』(1991年)『世界中の誰よりきっと』(1992年)『ただ泣きたくなるの』(1994年)などがある。
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女優としては映画『Love Letter』(1995年)での演技が高く評価された。本作で中山さんは一人二役を演じ大きな注目と賞賛を集め、複数の最優秀主演女優賞を獲得したとBBCが報じている。
画像:Fine Line Features
数々のヒット曲を放った中山さんだが、1999年以降は女優業の方に力を入れていた。
「クランクイン!」によれば、中山さんは2019年に20年ぶりの新曲を収録したアルバム「Neuf Neuf」をリリースしたという。
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2024年も仕事は順調で、12月1日には横浜でライブを開催。共同通信によれば、さらに大阪で12月6日にクリスマスコンサートを開催する予定だったが、その日に中山さんは姿を見せず、自宅で亡くなっていたことが判明した。
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共同通信によれば、中山さんの公式サイトは当初、大阪のコンサートを「体調不良」で中止すると発表していた。しかし、約束の時間に姿を現さなかったことから事務所の関係者が中山さんの自宅に様子を見に行ったところ、自宅で死亡しているのを発見したという。
共同通信によれば、「自宅の玄関は鍵がかかった状態で、水を張った浴槽に座っている」状態で中山さんは発見されたという。
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中山さんの死因については、警察による検視が行われた結果、入浴中に起こった不慮の事故と判断された。
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中山さんは亡くなる前日の5日の夜にインスタグラムを更新し、アーティストのルイーズ・ブルジョワ展に行ったときの写真を投稿。展示作で表現されたテキストの内容について、一部のネットユーザーからは不吉だという声があがっていると『サンケイスポーツ』紙が報じている。
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『ジャパンタイムズ』紙によれば、中山さんは来年の芸能界デビュー40周年に向けて、さらに大規模な全国ツアーを予定していたという。冥福を祈りたい。
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