写真が明らかにする、ロシアによるウクライナ侵攻が人々にもたらした慟哭
2022年2月24日にロシアがウクライナ侵攻を開始してから早2年あまり。ウクライナでは悲惨な状況が続いており、人々の苦悩は尽きない。
戦争に巻き込まれた一般市民たちは絶望や憤りを覚えながらも、恐怖に満ちた日々を送らざるを得ない。
首都キーウ近郊の村で暮らすこの老人。村は一時、ロシア軍の占領下におかれ、その後、ウクライナ軍が奪還したが、思い出の詰まった我が家はボロボロになってしまっていたそうだ。
ウクライナ東部ドネツク州における激戦地となったバフムート。2023年5月にロシア軍がこの地を占領した頃には、街全体が廃墟になっていた。
写真はウクライナ軍の捕虜となったロシア軍のワディム・シシマリン軍曹。62歳の男性を冷酷に殺害したとして戦争犯罪の疑いで裁判にかけられているが、あどけなさの残るその表情は残忍な殺人犯のイメージとはかけ離れている。
ウクライナ軍の第67独立機械化旅団を指揮してロシア軍と戦い、戦死したドミトロ・コチュバイロ(コールサイン「ダ・ヴィンチ」)。婚約者のアリーナ・ミハイロヴナは”英雄”の葬儀で涙を見せた。
ハイテク兵器を投入して戦闘を繰り広げる現代戦も、結局は人々の暮らしを破壊するという不毛な活動に過ぎない。ウクライナ各地の街並みは廃墟と化しつつある。
ザポリージャ州に打ち込まれたミサイルから避難するジャーナリスト。今年4月に撮影された写真だ。
一方、こちらは開戦24時間後に撮影されたキーウ近郊の様子。人々はロシア軍の爆撃を受け、黒焦げになった集合住宅を呆然と見つめている。
開戦直後にロシア軍によって占領されたキーウ近郊のブチャ。彼らが撤退した後には凄惨な光景が広がっていた。ウクライナ当局によれば、2022年4月にブチャで虐殺された犠牲者はおよそ700人にのぼり、その大部分は民間人だったという。
ブチャに残されていたのは黒焦げになった街並みと、多数の無残な遺体だった。
インフラをミサイルで破壊し、ウクライナ市民の士気をくじく作戦はロシア軍の常套手段だ。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によれば、ウクライナ侵攻によって発生した難民は600万人あまりにおよぶという。
爆撃が一段落すると、瓦礫の中から生存者を救出する作業が始まる。写真はザポリージャ州で撮影されたもの。
両軍ともに無数の負傷者を出しており、手足を失う兵士も少なくない。
ロシア軍はためらうことなく民間インフラを攻撃しているが、気温が著しく下がる冬の間、格好のターゲットとなるのが発電所だ。
首都キーウでも日常的に空襲警報が鳴り響き、市民は避難所に駆け込まなくてはならない。写真は2023年2月に撮影されたもの。
2023年6月にはへルソン州にあるカホフカダムが破壊され、ドニプロ川が氾濫。下流では無数の集落が冠水し、人々は避難を余儀なくされた。
開戦以来、ロシアに連れ去られたウクライナの子供たちは数万人に上ると見られている。写真は幸運にも帰還を果たした少年。
ウクライナ当局によれば、同国はすでに世界でもっとも地雷が敷設された国となっており、終戦後も大きな問題として残されるだろう。
紛争地や被災地の人道状況を伝える国連のウェブサイト「リリーフウェブ」によれば、今年2月の時点で「民間人の死傷者は3万457人。戦闘の巻き添えとなって死亡した民間人は1万582人、そのうち子供は587人」だという。なお、このデータは国連ウクライナ人権監視団が集計したものだ。
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