2024年、建国75周年を祝う中国:共産党の歴史的軌跡を追う
今年、中国は建国75周年を迎えた。この間にさまざまな出来事が起こったが、中国共産党は依然として政権を握り続けている。
だが、75年という年月は決して短くはない。社会的・政治的・経済的、そして地政学的状況は大きく変動し、中国における共産主義のあり方もそれに合わせて変容してきた。そんな中国共産党の歩みを振り返ってみよう。
1949年に中華人民共和国の建国が宣言されると、政権党である中国共産党は毛沢東の指導のもと、社会主義国家として国家運営に乗り出した。だが、それは人民が期待したようには運ばなかった。
1958年に始まった大躍進政策は中国の工業化を目指したものだったが、方針の誤りから混乱を招き、大規模な飢饉が発生して数千万人もの人々が餓死する事態となってしまった。
1966年に毛沢東が政界への復帰を画策して文化大革命を始動。「紅衛兵」として急進的な若者らを動員、知識階級や政敵を攻撃し、殺害あるいは追放した。この運動は毛沢東が死去する1976年まで続いた。
毛沢東が死去したことでようやく、中国は自国の経済力を発展させ、多くの人民を貧困から救う道筋を見いだすことができるようになった。
1978年には鄧小平が経済特区を設定し、外国資本や私企業を導入、さらに製造業に重点をシフトしていった。
鄧小平は経済面において共産主義の枠を打ち破ったが、政治的には民主化運動を弾圧、政権の維持に困難をきたす事態を招いた。
その象徴となったのが天安門事件だ。1989年、学生らが民主主義や表現の自由を求めて北京の天安門広場を占拠。そこに鄧小平政権は軍を送り込み、最終的に抗議者が少なくとも200人以上亡くなるという、悲惨な結果となった。
経済の自由化の結果、中国は世界の工場となり多くの国民が貧困を脱した。だが、経済格差は広がり、特に都市部と地方、沿岸部と内陸部の差は大きくなり、急速に都市化が進んだ。
1990年代に入ると中国の経済成長率は2桁に達し、産業の中心も農業から製造業やサービス業に転換、世界第2位の経済規模を誇るようになった。
習近平国家主席が2013年に打ち出した「一帯一路」政策では、アジアやアフリカ、ヨーロッパへの莫大なインフラ投資を通じて中国の影響力を世界的に拡大させることが企図されている。
中国の急速な成長と工業化は、深刻な環境問題も引き起こした。統計情報サイト「Statista」によると、ここ数年、中国は世界最大の温室効果ガス排出国となっている。
だが、近年の中国政府は環境問題への取り組みも積極的になってきている。気候変動監視NPO「Climate Council」によると、いまでは中国は再生可能エネルギーの生産量で世界最大となっているという。
習近平国家主席のもと、中国は技術開発でも最先端を走っており、AIや量子コンピュータ、5G通信など多くの分野でアメリカとしのぎを削るほどの存在感を持っている。
しかし、共産党一党独裁下ではそのような技術が国民の監視に利用される事態も起こっており、複数の団体から人権侵害を告発されてもいる。
複数のメディアで指摘されているように、中国は国民の政治的主張にはいまもなお厳しい制限を課しており、顔認識やAI、社会信用システムなどを駆使して国民の行動を監視、メディアやインターネットもコントロールしている。
さらに、新疆ウイグル自治区では100万人規模のウイグル人やイスラム教徒などを「再教育施設」に幽閉しているとの非難も受けており、人権問題が深刻化している。
習近平国家主席のもと、中国人民解放軍は近代化を推進、2049年までに世界クラスの軍隊を構築することを目指している。台湾への野心やアメリカへの対抗意識は、現在の中国の地政学的スタンスを理解する上で無視できない姿勢だ。
1979年から2015年まで採用されていたいわゆる一人っ子政策は中国の人口動態に顕著な影響を及ぼしており、かつては人口抑制に効果があったものの、現在では労働力の高齢化などの人口問題として政府を悩ませている。
香港大学の政治学者、ダニエル・ベル氏によると、中国は経済的には資本主義だが、政治的には今後も共産主義的な姿勢を保つ見込みだという。インド紙『Business Standard』に語っている。
ベル氏によると、中国共産党はソビエト連邦が崩壊に至った過程を検証しており、中国が同様の事態に陥らずに共産党支配を継続する道を模索しているのだという。果たしてその努力は実を結ぶのだろうか?