ドニエプル川河口地域での攻防:ロシア軍、旅団の最大8割を失うか
最近行われた報道によると、ヘルソン州でロシアが占拠していたいくつかの島でロシアの旅団がかなりの損失を被ったらしい。そして、状況はかなり複雑なようだ。
ロシア側消息筋によると、ロシア海軍の第80独立自動車化狙撃旅団がドニエプル川河口地域でウクライナ軍と衝突、かなりの兵を失ったという。『ニューズウィーク』誌が9月4日に報じている。
画像:Wiki Commons By Tschubby, Own Work, CC BY-SA 3.0, Edited by The Daily Digest
ウクライナ侵攻を扱っているオンライン戦争アナリストのクリス・オウィキは、ロシアの独立報道組織「アクノー(Okno)」を引用しつつ、あまり注目されない前線であるドニエプル川河口地域についてコメントしている。
第80独立自動車化狙撃旅団は2014年に、ノルウェーやフィンランドとの国境地域の防衛を目的として編成された。だが、2022年以来、旅団の多くはウクライナに配備されている。
画像:Wiki Commons By Mil.ru, CC BY 4.0
オウィキによると、同旅団は「ウクライナでかなりの人員を」失ったため、2023年には囚人の採用を開始したという。だが、同旅団に編入した兵士の家族からの証言を見る限り、同旅団の損耗はそこからさらに悪化したようだ。
服役していた36歳の息子コンスタンティンが同旅団に採用されたというイリーナ・イワノヴナが「アクノー」の取材に応えている。同旅団の兵士には行方不明者が相次いでいるが、コンスタンティンもそうなってしまったのだという。
コンスタンティンからの連絡が途絶えたのは4月27日のことだった。イリーナが旅団に問い合わせたところ、旅団から大量の死傷者が出ているという返事がきたという。そしてその後、コンスタンティンの行方も分からないと言われることになる。
イリーナは『ニューズウィーク』誌にこう語っている:「旅団に問い合わせたら、構成員の80%が死傷したと言われました。息子と共に戦っていた他の兵士は腹部に怪我を負ったそうです。4月29日のことでした」
「息子は兵役中に行方不明となったという紙を渡されました。ヘルソンが解放されたらあのあたりの島を捜索するということです。息子は生死も分かりません。どこにいるのかも」そのうえでイリーナは、息子がウクライナで戦ったことは喜ばしく思っている、とも付け加えた。
同誌によると、同じく刑務所から採用されたセルゲイ・ロマンツォフ(37歳)も同様の経緯をたどったという。ロマンツォフも同地域で4月に行方不明となったとされている。
ロマンツォフの妹、ニーナはこう語っている:「(刑務所から)戦争に行きました。そのことで喧嘩したんです。私は兄に言いました。やめたら、どうせ片道切符だよって。刑期もあと2年だけでした。あんな契約にサインするなんて、どうかしています。でも兄は電話してきて、ただ行くというだけで、理由も何も言ってくれませんでした」
ロマンツォフは戦傷者を回収するためのボート操縦などの任務に就いたが、4月末に行方不明となった。家族はいまもロマンツォフの生死すら分からないでいる。
画像:X @FreudGreyskull
ニーナはこう続けた:「兄は5月1日には生きていました。その後のことはわかりません。兄の乗っていたボートが砲弾かドローンで攻撃を受けたことは突き止めました。生存者もいましたが、多くは殺されました」ニーナはさらに、兄が戦った地域の島は、現在ではウクライナが支配しているとも述べた。
『ニューズウィーク』誌によると、2022年にヘルソンを奪還して以来、ウクライナはドニエプル川の対岸に積極的に攻勢に出ているのだという。また、クリス・オウィキは第80独立自動車化狙撃旅団が防衛していた島嶼部について鍵となる情報を提供している。
画像:Wiki Commons By World Wind, NASA World Wind, Public Domain
オウィキはこう述べている:「ヘルソンのドニエプル川下流域には無数の島があり、中でも戦略的に重要なのはヘルソン市南方にある大ポチョムキン島だ」また、他にもテンドラ湾やジャリルハッハ湾に重要な島があるという。
オウィキはXで地図(画像)を示しながら次のように述べた:「争奪戦が続いている島は大ポチョムキン島(地図の1)、テンドラの砂州(2)、オルロフ(3)、ジャリルハッハ(4)、カランチャク諸島(5)だ」
画像:X @ChrisO_wiki
『ニューズウィーク』誌は記事で提示された損失の程度などを他のソースから確認することはできなかったとしている。だが、ドニエプル川周辺は常に激しい戦闘が行われている地域であり、ロシアの旅団が大きな損失を被るのは十分あり得ることではある。