米爆弾魔「ユナボマー」の獄死から1年:爆弾テロリストか悲劇の天才か
数奇な運命をたどった爆弾魔「ユナボマー」ことセオドア・カジンスキー。昨年6月に獄死してから1年あまりが経過したが、サブカルチャーやネット文化の中ではいまだに注目を集める存在だ。
カジンスキーは米国内で爆弾テロを繰り返し、23人のケガ人を出したほか、3人を死に追いやったことで、米国の犯罪史に名を残している。裁判で終身刑を言い渡され服役していたが、昨年6月10日に獄中で自ら命を絶ってしまった。このとき、カジンスキーはすでに末期ガンを患っていたという。
しかし、カジンスキーの事件を考える上で重要なのは、何がこの男を爆弾テロに走らせたのか、ということだ。というのも、カジンスキーはCIAが行った非道な洗脳実験の犠牲者だった可能性もあるためだ。
カジンスキーはハーバード大学の学生だったころ、「MKウルトラ計画」の一部実験に被験者として参加していたのだ。しかし、この心理学実験はボランティアの学生たちを極限まで追い詰めるものだった。
NPR放送いわく、「MKウルトラ計画」とは、マインドコントロールの手法を開発するためにCIAの資金提供で進められた一連の実験のことだ。また、計画の一部として、既存の精神を消し去る方法が模索されたそうだ。
実験に参加する前、カジンスキーはハーバード大学が新入生に対して行う健康診断を受けていた。『アトランティック』誌によれば、カジンスキーの精神状態を診た医師は「非常に安定しており、統合がとれている」と判断、どのような道に進んでも成功を収めるはずだと太鼓判を押したそうだ。
ところが、数学者として有望視されていたにもかかわらず、数年後にはキャリアを断念し、森の中で自給自足を始めた上、爆弾テロ事件を巻き起こすに至ってしまったのだ。
実は、カジンスキーが心理的虐待を受けたのは「MKウルトラ計画」が最初ではなかった。法廷で行われた精神鑑定によれば、カジンスキーは子供時代に飛び級したことがあり、そのせいでイジメに遭っていたというのだ。
学校の教師たちはカジンスキーがIQ160越えの天才だとして、第6学年を飛ばすよう取り計らった。その結果、年上の生徒たちからイジメの標的にされ、悪口を浴びせられることになってしまった。それでも、カジンスキーは16歳の若さでハーバード大学に進学している。
ハーバード大学を卒業したカジンスキーはミシガン大学の大学院で数学の研究を続ける。『シアトル・タイムズ』紙いわく、教授たちはカジンスキーの才能を確信していたそうだ。
その後は博士号を取得し、25歳の若さでカリフォルニア大学バークレー校の助教授となった。しかし、カジンスキーがこの地位に留まることはなかった。
『アトランティック』誌によれば、カジンスキーは助教授に就任する前から、すでに辞任したがっていたという。実は、モンタナ州の自然豊かな田舎に引っ越す計画を温めており、仕事は貯金の手段でしかなかったのだ。
モンタナ州に自ら小屋を建てて暮らし始めたカジンスキーだが、ここで歯車が狂い始める。環境破壊を目の当たりにしたことで、手製の爆弾を仕掛けたり郵送したりして、社会に対する過激な抗議を行うようになってしまったのだ。
カジンスキーが起こした事件として有名なものに、アメリカン航空444便(シカゴ発ワシントンD.C.行)に対する攻撃がある。飛行中にカジンスキーの爆弾が炸裂し、煙を吸った12人に健康被害が及んだのだ。カジンスキーはまた、ユナイテッド航空の社長を負傷させる事件も起こしている。
しかし、カジンスキーが好んでターゲットにしたのは大学だった。1978年から1993年にかけての15年間で、6つの大学に少なくとも9つの爆弾を仕掛けたのだ。
一方で、パソコンショップをはじめとする企業や産業界の大物が標的になることもあった。実際、カジンスキーの爆弾によって、広告会社役員と材木業ロビイストが命を落としている。
ユナボマー事件の特徴は犯人の思想的背景にある。カジンスキーは技術の進歩を推進し、環境破壊に加担していると思われる人物だけを慎重に狙ってテロ攻撃を仕掛けていたのだ。
実際、カジンスキーは自身の反テクノロジー思想をまとめた『産業社会とその未来』という3万5,000語のマニフェストを新聞紙上で発表するに至った。
このマニフェストは『ペントハウス』誌と『ワシントン・ポスト』紙上で発表され、テクノロジーの進歩によって社会は不安定化し、人類は滅亡するというカジンスキーの主張は反響を呼ぶこととなった。
1995年にマニフェストを書き上げたカジンスキーは『ニューヨーク・タイムズ』紙と『ワシントン・ポスト』紙に対し、マニフェストの掲載を要求する手紙を送り、その見返りとして爆弾テロを中止すると申し出た。
AP通信によれば、ユナボマー事件はFBIにとって、解決にもっとも時間とコストを要するケースになってしまったという。カジンスキーは用心深く足がつくのを避けていたばかりか、捜査をかく乱するためにニセの証拠まで仕込んでいたためだ。
しかし、弟のデイヴィッドがマニフェストの文体と思想が兄のものに似ていると気付き、FBIに通報。カジンスキーは1996年についに御用となった。
写真は弟のデイヴィッド・カジンスキー
カジンスキーの裁判は長年にわたって物議を醸してきた。『アトランティック』誌やカジンスキー自身の回想によれば、家族や弁護士は死刑判決を回避するため、カジンスキーの精神疾患をでっちあげたとされている。