ノーベル平和賞を受賞:画像でふりかえる日本被団協の歩み
12月11日、ノルウェーの首都オスロでノーベル平和賞の授賞式が行われた。式典に出席した日本被団協の代表者3人にメダルが授与されると、会場から大きな拍手が沸き起こったという。NHK放送が伝えている。
また、『毎日新聞』によれば、同団体の田中煕巳(てるみ)代表委員は受賞演説の中で予定外のアドリブを加え、被ばく者に対する国家補償がなされていないことを改めて批判したという。
ロシアによるウクライナ侵攻やイスラエルとイランの対立激化など、核兵器の拡散やその使用に対する懸念が広がる中、ノルウェー・ノーベル委員会は10月11日に日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に対するノーベル平和賞授与を発表していた。
NHK放送によれば、核兵器のない世界を目指す努力と、核兵器がふたたび使われてはならないことを被害者の証言を通じて訴えたことが受賞理由だという。では、日本被団協はこれまでにどのような活動を行ってきたのだろうか?
画像:ノーベル平和賞受賞を受けて記者会見に臨む日本被団協の田中煕巳(たなか・てるみ)代表委員
日本被団協が結成されたのは広島・長崎に原爆が投下されてから11年後の1956年。当時は米ソ両陣営による核開発競争が続いており、1954年には米国がビキニ環礁で行った水爆実験によって、マグロ漁船「第五福竜丸」が被ばくする事件が発生。日本では核兵器廃絶を求める声が高まっていた。
ちなみに、1954年は特撮映画を代表するキャラクター「ゴジラ」が誕生した年だ。作中では水爆実験によって被ばくし、怪獣になってしまった海洋生物がゴジラだとされており、フィクションの世界でも核兵器に対する恐れや懸念がテーマとなっていた。
このような社会情勢の中で結成された日本被団協は被爆者の声を世界に届ける活動をスタート。日本国内では原爆の犠牲となった人々に対する国家補償を求める一方で、国際社会に対しては核兵器廃絶を訴え続けてきた。
画像:広島市の平和記念公園(Kyodo News Images)
NHK放送によれば、日本被団協は国連の軍縮特別総会に3度にわたって出席し、各国の代表者を前に被爆体験を語って核廃絶を訴えたほか、核兵器禁止条約の成立にも積極的に貢献したという。
画像:核兵器禁止条約の採択にあたって、国連本部で演説する日本被団協の藤森俊希事務局次長(Kyodo News Images)
このように各国政府や国際機関を通じ、国際社会に対する政治的な働きかけを行う一方で、国内外の各地で講演会や写真展を開催し、一般の人々に核兵器の恐ろしさや核兵器廃絶の重要性を伝える草の根の活動にも取り組んできた。
画像:ニューヨークの高校生たちを前に被爆体験を語る日本被団協の小西悟氏(Kyodo News Images)
ノーベル平和賞受賞が報じられた翌日、日本被団協のメンバーたちは記者会見をおこない、長年の活動が認められたことに対する喜びや、今後の展望、政治家たちへの憤りなど、それぞれの想いを口にした。
日本被団協のウェブサイトによれば、同団体の田中煕巳代表委員は核兵器廃絶について、被爆者だけの課題ではなく人類全体の課題だとコメント。ノーベル平和賞の受賞については、ノーベル委員会においても核戦争への危機感が高まっており、そのような事態はなんとしてでも回避しなくてはならないという思いが通じたのではないかとした。
一方、和田征子事務局次長は、今回の受賞をきっかけとして若者たちに日本被団協の活動を知ってもらい、被爆者が高齢化する中でも核兵器廃絶を目指す意思を受け継いでほしいという思いを明かした。
ちなみに、日本の団体や日本人がノーベル平和賞を受賞したのは50年ぶりだ。前回は佐藤栄作元首相であり、非核三原則の表明や核拡散防止条約への署名が評価されての受賞だった。
ロシアによるウクライナ侵攻やパレスチナ問題をめぐって国際社会には分断が広がっている。すでに、ベラルーシにはロシアの核兵器が配備されたほか、北朝鮮は核ミサイル開発に余念がない。
また、米中があらたな核開発競争に乗り出す兆しをみせているほか、事実上の核保有国イスラエルと核開発疑惑のつきまとうイランが対立を激化させるなど、世界各地で核軍縮に逆行する動きが目立っている。今回の日本被団協のノーベル賞受賞によって、このような流れに歯止めがかかることを期待したい。