ネフト・ダシュラリ:カスピ海に浮かぶ旧ソ連時代の「海上都市」
アゼルバイジャン語で“石油岩”を意味する「ネフト・ダシュラリ」。その正体は世界でも稀な、海に浮かぶ工業地帯だ。
ネフト・ダシュラリはカスピ海に触手を伸ばしているタコのようだと形容されることが多い。というのも、この街を構成する油井や製油所、居住区はタコ足のような金属製の橋でお互いに接続されているためだ。
CNN放送はネフト・ダシュラリについて、1940年代後半に当時のソ連政府が建設した世界初の海上石油プラットフォームであり、産油国アゼルバイジャンの象徴だと伝えている。
一方、英紙『エクスプレス』によれば、最盛期にはおよそ2,000ヵ所の油井や320ヵ所の製油所を擁したほか、橋の総延長はおよそ160キロメートル、石油・ガスパイプラインは100キロメートルにおよんだとのこと。
CNN放送によれば、ネフト・ダシュラリの建設に当たっては、石油プラットフォームを波風から守るため、7隻の退役船が防波堤として周囲に沈められたそうだ。
また、最盛期のネフト・ダシュラリには居住施設や商店、医療施設、ヘリポート、さらにはサッカー場まで完備されており、5,000人あまりの住民が暮らしていたという。
この地区の原油生産量が最大に達したのは1967年のこと。1年間で760万トンもの石油を産出したのだ。また、操業開始から現在に至る75年間の総生産量は1億8,000万トンとなっている。
しかし、一時は大いに栄えたネフト・ダシュラリも今では斜陽を迎えつつある。『エクスプレス』紙いわく、現在の原油生産量は年間100万トンに留まっているとのこと。
また、そこで暮らす人々もおよそ2,000人と最盛期の半分以下になってしまった。『エクスプレス』紙によれば、同地の住民たちは海上の石油プラットフォームに2週間勤務し、残りの2週間は自宅で過ごすという生活を送っているそうだ。
CNN放送はネフト・ダシュラリの斜陽について、アゼルバイジャンにおける石油産業の中心地がより大規模な油田へと移っていったことが原因だと伝えている。そのような状況の中、ネフト・ダシュラリは徐々に老朽化が進んでおり、石油が流出するおそれもあるとのこと。
それでも、アゼルバイジャン国内では、いまだに年配の人々などがネフト・ダシュラリを「世界8番目の不思議」と呼ぶこともある。また、アゼルバイジャン国営石油会社(SOCAR)はCNN放送に対し、ネフト・ダシュラリは同国の産業と社会の中で「独自の役割を果たす現役の資産」だと語っている。