カナダ・トルドー首相の母は元パーティガール?:セレブと浮名を流したヒッピー世代

カナダ首相の母、マーガレット・トルドー
社交界の華
興味深い半生
自由奔放な母の生き方
リベラルな生き方は幼少期から
出会いは18歳の休暇先
カナダ国民を驚かせたハネムーン
首相夫人以上の存在に
選挙キャンペーンで活躍
夫による「愛のレッスン」
何も言わずに微笑むだけ
相次ぐスキャンダル
首相夫人が抱えた孤独
広がっていく溝
ケネディとの関係
ローリング・ストーンズとの関係
カリブ海の愛
どこか似ている二人
つじつまが合わない
「スタジオ54」でダンス
一つの時代の終焉
双極性障害について語ったり、女優に挑戦したり
結婚が終わっても愛は終わらない
カナダ首相の母、マーガレット・トルドー

元カナダ首相の妻にして、カナダ首相の母という華麗な肩書を持つマーガレット・トルドー。

社交界の華

しかし、かつてのマーガレットはバンクーバー生まれの有名人としてアンディー・ウォーホルやローリング・ストーンズのメンバーと交友関係があったほか、果ては外国の首脳とまで浮名を流したことまであるのだ。

興味深い半生

実際、マーガレット自身の半生は、カナダ首相の妻および母であること以上に興味深いものだ。

自由奔放な母の生き方

年配のカナダ人であれば、マーガレット・トルドーの派手な行動について当時の雑誌をにぎわせたスキャンダラスな見出しで覚えていることだろう。カナダ現首相ジャスティン・トルドーの父親はピエール・トルドーではなく、国際的に知られる別の人物なのではという噂が流れたことさえあったのだ。

リベラルな生き方は幼少期から

マーガレット・トルドー(旧姓シンクレア)は1948年バンクーバー生まれ。父親は18年間自由党の国会議員を務めたジェームス・シンクレアだ。マーガレットと自由党との関わりは、実は幼少期にまで遡ることができる。

出会いは18歳の休暇先

マーガレットは18歳の時に休暇で訪れたタヒチで、当時法務大臣を務めていたピエール・トルドーと出会った。30歳近く年上のピエールが、ヒッピー世代で自由奔放なマーガレットに夢中になっていたことは誰の目にも明らかだった。

カナダ国民を驚かせたハネムーン

当初、トルドーとマーガレットは二人の関係を明らかにしていなかった。やがてトルドーは1968年に首相に就任、1971年に二人は結婚した。カナダ国民がマーガレットのことを初めて知ったのは、首相夫妻のカリブ海ハネムーンがマスコミにより報じられたときだった。

首相夫人以上の存在に

マーガレット・トルドーは当初からピエール・トルドー夫人以上の存在になろうとしていたようだ。若くそしてヒッピー世代でもあったマーガレットは、すでに中年の夫が必要としていた新たな活力をカナダ政治にもたらしたのだ。

 

選挙キャンペーンで活躍

当時の自由党幹部はマーガレットを選挙戦のキーパーソンと捉えて激戦区に送りこんだ。その結果はおおむね良好だった。

夫による「愛のレッスン」

そうした成功の裏で、もちろん失態を犯したこともある。1974年、バンクーバーで2,000人以上の聴衆を前に「愛することを夫からたくさん学んだ」と語り、トルドー陣営のライバルから鼻で笑われてしまったのだ。

何も言わずに微笑むだけ

「その場にいても、私は何も言わずにただ微笑むだけ」マーガレットは1974年に 『トロント・スター』紙にそう告白した。夫の公務をサポートしたいが、自分の人生が空っぽのように感じるのだと。

相次ぐスキャンダル

マーガレット・トルドーは人気者だったかもしれないが、長きに渡り数多くのスキャンダルに巻き込まれたのも事実。首相の荷物に違法薬物を忍び込ませたり、露出度の高い服でニューヨークの有名なナイトクラブ「スタジオ54」に出没したり……。またオタワの首相官邸にあった、カナダを代表するアーティストの一人、ジョイス・ウィーランドの作品を壊してしまったこともあった。

首相夫人が抱えた孤独

結婚生活は間もなく破綻。マーガレットの回顧録である『Beyond Reason』では、首相の妻として社会から孤立してしまったと述べている。

広がっていく溝

その一方、首相は公務のためにマーガレットとの生活からどんどん遠ざかっていった。夫人は3人の子育てに追われ、二回目の新婚旅行も二人の隙間を埋めることはできなかった。

ケネディとの関係

マーガレットは、やがて有名人を含む複数の相手と浮気を始めたことを認めている。その中にはジョン・F・ケネディ大統領の弟で上院議員のエドワード・"テッド"・ケネディも含まれている。

ローリング・ストーンズとの関係

さらに、ミック・ジャガーを含むローリング・ストーンズの複数のメンバーとも関係があったという。

カリブ海の愛

憶測の域を出ないが、マーガレットはキューバの独裁者のフィデル・カストロと関係があったという説もある。

どこか似ている二人

それだけではなく、2018年にはフィデル・カストロこそが、ジャスティン・トルドーの真の父親なのだという噂も広まった。若き日のジャスティン・トルドーとひげを除いたキューバのリーダーは、どこか似ているという指摘もある。

つじつまが合わない

かし、AP通信によればピエール・トルドー首相夫妻がキューバを訪れたのは1976年。つまり1971年生まれのジャスティン首相がキューバの独裁者の息子という事実はあり得ないようだ。

「スタジオ54」でダンス

首相夫妻は1977年に別居。11年間の長きに渡り政権を担ってきた自由党が敗北する1979年の総選挙前夜、マーガレットの姿はニューヨークのナイトクラブ「スタジオ54」にあった。なおピエール・トルドーは翌年に政権に復帰している。

一つの時代の終焉

ピエール・トルドーが首相を辞任し政界から引退した1984年、首相夫妻は正式に離婚した。ピエールが不在となった自由党は大きな打撃を受け、史上最悪の選挙結果を招くことになる。そう、一つの時代が終わったのだ。

双極性障害について語ったり、女優に挑戦したり

それ以降のマーガレット・トルドーは社交界の華となり、メンタルヘルスの啓蒙活動も行っている。2006年に双極性障害を患っていたことを公表。また演技の世界にも踏み出し、2019年には一人芝居を上演した。

結婚が終わっても愛は終わらない

2000年にピエール・トルドー元首相が亡くなった際、マーガレットは二人の子供と共に元夫を見送った。「結婚の終焉は愛の終わりを意味するわけではない」数年度、こんな言葉を『マクレーンズ』誌に語っている。

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