ロシア精鋭部隊を散り散りにしたウクライナ軍
ウクライナ軍は今年、ロシア軍で最も手強いとされる部隊を実質的に殲滅し、ウラジミール・プーチン大統領に大打撃を与えたと「ワシントン・ポスト」が報じている。
第200独立自動車化狙撃旅団は、ロシアが昨年2月24日に侵攻を開始するにあたり、その第一陣としてウクライナに送り込まれた部隊の一つだった。だが、初動の早さにもかかわらず、部隊は過去10ヶ月にわたって大いに苦しんできた。
侵攻が始まって間もなく、第200部隊の兵士たちは待ち伏せに遭った。多くの死者を出し、死者の装備はほぼすべて放棄せざるを得なかった。
部隊の生き残りは、3月から4月にかけてしばらくハルキウ周辺の拠点の防衛にあたった。当地で部隊は、二個の大戦戦術群に属する数百人の兵士を失った。
3月下旬、第200独立自動車化狙撃旅団はハルキウ州におけるウクライナの電光石火の逆襲によって敗走し、部隊の大部分が散り散りになったという。
ロシア軍最強とされている部隊の状況を詳述した文書によると、第200部隊は戦争開始時、二つの大戦戦術群に1400人の兵士がいたが、5月末には、900人に満たない数の兵士しか残っていなかった。
プーチン大統領による9月の動員令によって第200部隊に配属されたある動員兵は、部隊は“荒廃状態”にあると「ワシントン・ポスト」の記者団に語った。
名を伏せたその兵士は「ペンキ塗りの1941年製ヘルメットと、板金なしの防弾チョッキ」が兵士に支給されていると語る。「まともな訓練すらありません。ただこう言われるのです:『今からお前はシューターだ。さあ、機関銃を配るぞ……』」
世界第2位の軍事力を誇る軍隊にとって、この戦争はまったく悲惨な成り行きを見せているが、なかでも第200独立自動車化狙撃旅団の敗北は、際立って屈辱的である。
この第200部隊はそもそも、ロシア北西部ムルマンスク州のコラ半島にあるロシアの戦略核兵器保管庫を守る任務についていた。したがって、いつでも戦争を始められる体勢がとられていたのである。
ムルマンスク州ペチェンガに駐屯していた第200部隊は、しばしばプーチン大統領に指名され、同国で最も重要な軍事任務を遂行してきた。
第200部隊の将校たちは、バシュール・アサドが実権を握るシリアに送り込まれたこともあった。シリア内戦の真っ只中、アサド政府とその軍隊がシリアの支配権を維持するために、彼らは力を貸したのだ。ウクライナの情報筋によると、部隊所属の兵士たちは、2014年にウクライナにも送り込まれた。新ロシア派分離主義勢力がドンバスの地域を占領する手助けをしたのである。
最も鍛え抜かれ、装備も最高度に充実した部隊、ロシア軍の粋と見なされた第200部隊は、他のほとんどの部隊よりも多くの場数を踏んだうえで、ウクライナに侵攻したのだった。にもかかわらず、甚大な被害は避けられなかった。
ウクライナによるハルキウ反攻作戦のさなか、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領の補佐官は次のように述べた:「派遣された648人の軍人のうち、645人が死亡した。生存者は3人のみ、うち2人は負傷している」
645人の兵士が死亡したというこの主張の真偽については、それだけを取り出して検証することはもとよりできないが、外国人監視団の予測にぴたりと合わさることも確かだ。すなわち、第200部隊はおそらくすでに戦闘能力を喪失している、という予測である。
「彼らの兵力は、せいぜい60%といったところです。援軍に頼らざるを得ませんが、近くには頼れる援軍はいません」:年明け早々に行われたインタビューでこう語るのは、フィンランド国防情報局のペッカ・トヴェリ(Pekka Toveri)元局長。
トヴェリ元局長はさらに付け加える:「戦うことを拒否し続ける人々や、行方をくらます人々がいます。ロシアにとってこの戦争は、どこかの時点でひどく道を踏み誤ってしまったようです」
ハルキウにおける第200部隊の参戦は、9月の半ばに終わりを告げた。クピアンスク近郊、パブロ・フェドセンコ大佐率いるウクライナ陸軍の第92独立機械化旅団を前に、彼らは完敗を喫したのである。
完敗の後に残ったのは、第200部隊の二個大隊のうち、片方の隊に所属する兵士だけで、それもほんの一握りに過ぎなかった。フェドセンコ大佐の見るところ、昨年2月にウクライナに侵入したときの部隊とは似ても似つかなかったという。
第200部隊の将校たちは、ほとんどが死亡または負傷した。部隊は32両の戦車とその他100台以上にのぼる車両を含む、あわせて70%以上の装備を失った。
ウクライナのフェドセンコ大佐は「ワシントン・ポスト」のインタビューにこう語っている:「例の旅団はもうどこにも残っていません。完全に掃討されたのです」