ウクライナ大統領夫人オレナ・ゼレンスカ:母国の危機を前にしたファーストレディー
ゼレンスキー大統領と並び、その妻であるオレナ・ゼレンスカ大統領夫人はロシアによる侵攻に決死の抵抗を続けているウクライナ国民の象徴となっています。
ゼレンスキー大統領夫人と子供たちは国を離れることを拒み、キエフにある秘密の避難所に身を潜めています。オレナ夫人はその場所から、SNSを通じて人々に励ましの声を挙げ続けています。
オレナ夫人はウクライナ侵攻における重要人物の一人であり、プーチン露大統領が付け狙う標的ナンバー2であると、標的ナンバー1とされるゼレンスキー大統領が語っています。
オレナ夫人はウクライナ大統領府のウェブサイトに公開書簡を投稿し、2022年2月24日にプーチン露大統領がウクライナ侵攻を決定して以来、ウクライナの人々が直面している悲惨な状況についていかに心を傷めているかを訴えました。
「ここ1週間前の出来事は信じられない。ウクライナは平和国家であり、どの町も村も活気にあふれていたのに」とオレナ夫人は語っています。
勇気あるオレナ夫人についてはあまり知られていないかもしれません。1978年(2月6日)生まれで旧姓はキヤシュコ、ウクライナで8番目に人口の多い都市クリヴィエリに生まれました。夫のウォロディミル・ゼレンスキー大統領も同じ町の出身で、二人は同い年です。
2人は子供の頃に学校で出会い、ともに成長を遂げていきました。大学に入ってから交際が始まり、未来の大統領は法律を、未来の大統領夫人は建築を専攻していました。
オレナ・ゼレンスカとウォロディミル・ゼレンスキーは2003年9月に結婚し、2004年7月に長女のオレクサンドラを、2013年1月に長男のキリロという2人の子供を授かりました。
オレナ夫人は建築家であると同時に映画の脚本家でもあり、夫とともに制作会社Kvartal 95を設立。それに伴いさまざまなプロジェクトで仕事を共にしました。ゼレンスキー大統領が有名な俳優として活躍していたことは(そしてロシアでも良く知られる人気俳優でした)、政界に転身する際にプラスになったことでしょう。
オレナ夫人本人がさまざまなインタビューで認めているように、夫がウクライナ大統領選への出馬を決めたとき、あまり乗り気ではありませんでした。しかし、夫が大統領選に勝利してからはずっと彼を応援してきたといいます。
2019年5月に夫が大統領に就任して以来、オレナ夫人はウクライナのファーストレディとしてさまざまな問題に取り組んでいます。学校食の栄養、男女平等、メンタルヘルスケア、機会均等、ウクライナ文化の普及、ジェンダーに基づく暴力との戦いなどさまざまな分野で活発な活動を行っています。
オレナ夫人のインスタグラムのフォロワーは250万人近くにのぼります。現在もウクライナに残り、SNSを通じて悲惨な戦争について伝え、告発を続けています。
過去には、オレナ・ゼレンスカ大統領夫人はインスタグラムでの知名度を活かし、自身が支援するさまざまな活動について周知をしたり、ウクライナ版『VOGUE』の表紙を飾るなど、ファッションやライフスタイルのお手本ともなっています。
オレナ夫人は誰もが認めるファッションアイコンであり、公式行事では必ずと言っていいほどウクライナのデザイナーの服を身に着けています。そのスタイルはファーストレディにふさわしく、クラシックが基本。
本人は「裏方にいる方がいい」としていますが、事実上「大統領夫人」の枠をはるかに超えた重要な役割を担っています。
「私はさまざまな問題やプライバシー攻撃から離れて以前と変わらない暮らしを続けることもできましたが、夫を支えることにしたのです。夫には感情面での支えが必要であり、だれかが近くでサポートしなければなりません。また、公式の場で同伴してくれる人も必要ですから」と、ウクライナ版『VOGUE』のインタビューで語っています。
写真は、2020年2月に夫と共にバチカンにローマ教皇フランシスコを訪問したときのもの。
そして、2021年4月にフランスのエリゼ宮でマクロン大統領夫妻に迎えられたときの写真がこちら。ゼレンスキー大統領は、まさにウクライナのNATO加盟の可能性についてマクロン大統領と討議するために現地に赴いたのでした。
オレナ夫人は母国にとりきわめて重要な存在であり、『FOCUS』誌の「最も影響力のあるウクライナ人100人」に選出されたときには30位を占めていました。
そうした社会的影響力を頼みに、オレナ大統領夫人はウクライナから平和を訴える声を挙げつづけています。長期化する戦争に、一刻も早い停戦と和平が望まれています。