ウクライナ侵攻で命を落としたロシア軍将校たち
2022年2月の侵攻開始以来、ロシア軍は数多くの指揮官を戦闘で失ったとされる。しかも、そこには将軍級の人物も含まれている。「ビジネスインサイダー」等が伝えている。
ロシア軍エリートの死者数は侵攻開始から2か月後の報告だけみても、第二次世界大戦後、最悪の数字になっている。『フォーリン・ポリシー』誌、BBC放送、ニュースサイト「ビジネスインサイダー」をはじめとする報道機関が示唆しているように、プーチン大統領の侵攻計画は思うように進まなかったようだ。
(写真はキーウ近郊で捕虜となったロシア兵。2022年2月24日、アンカラのウクライナ大使館発表より)
ウクライナへの侵攻は「数時間で片が付く」と述べたヤコフ・レザンツェフ中将(写真はロシア軍の公式な肖像写真)だが、ウクライナで戦死したロシア軍幹部のリストに名を連ねることとなった。
2022年4月16日、ロシア軍エリートの犠牲者リストに加わった第49対空ミサイル旅団のイワン・グリシン大佐。『エクスプレス』紙の報道によれば、ハルキウ(ハリコフ)市の戦闘で榴散弾による負傷がもとで死亡したとされる。ロシア寄りのSNS、VKもこのニュースを確認している。
(写真:ニュースサイト「East2West」による『The Mirror』紙の引用から)
同じ週末、第8統合軍の副司令官、ウラジミール・フロロフ将軍もサンクトペテルブルクに埋葬されたという。『エクスプレス』紙によれば、市当局は「ウクライナの民族主義者と戦い、勇敢な戦死を遂げた」と称賛した。
(写真:ニュースサイト「East2West」による『ニューヨーク・ポスト』紙の引用から)
2022年4月14日、ロシア軍艦「モスクワ」が黒海に沈没すると、アントン・クプリン一等艦長も命運を共にしたと伝えられた。ウクライナ側は自軍のミサイル攻撃による撃沈だと主張しているが、正確な状況はまだ判明していない。
(写真:『イブニング・スタンダード』紙)
BBC放送によれば、プーチン大統領が公式に戦死を認めた唯一の指揮官が第7親衛空挺師団のアンドレイ・スホベツキー少将だ。ビジネスインサイダーによれば、開戦直後の演説中に狙撃されたとのこと。
伝えられるところによると、ウクライナ侵攻で戦死した3番目の将校となった第29軍のアンドレイ・コレスニコフ少将。ウクライナ軍が彼の死を発表したものの、ロシア側はこれを認めていない。
(写真:Illia Ponomarenko, Kyiv Independent / Twitter)
4番目に戦死した将校は、マリウポリ攻略を指揮していたオレグ・ミチャーエフ少将。『ニューヨーク・タイムズ』紙によれば、ウクライナ軍は彼の居場所に関するロシア軍の連絡を傍受して追跡、戦死させたという。
(写真:ニュースサイト「East2West」による『El Político』紙の引用)
『ガーディアン』紙が報じたところによると、ハルキウ市付近の激戦で第41軍のヴィタリー・ゲラシモフ将軍をはじめ数人の上級将校が戦死したという。ウクライナの諜報機関は、ロシア連邦保安局の職員がゲラシモフ少将の戦死について連絡しているのを傍受したようだ。
戦死した親露組織の指揮官には若者も含まれている。写真左はチェチェン共和国のマゴメド・トゥシャエフ将軍(36)。『デイリー・メール』紙によれば、ホストメリ空港付近で殲滅された戦車団を指揮していたらしい。写真右は、ロシア軍とともにドネツク地方で戦闘中に射殺された分離派組織の指揮官、ウラジーミル・ゾガ(28歳)。
(写真:Illia Ponomarenko, Kyiv Independent / Twitter)
ウクライナ侵略は「数時間で片が付く」と述べて有名になったヤコフ・レザンツェフ中将(49)。BBC放送によれば、ヘルソン市にほど近いチョルノバイウカ空軍基地を攻撃中に戦死したとされる。ロシア49諸兵科連合軍司令官としてシリアでの戦闘経験もあった。
(写真:ニュースサイト「East2West」による『The Standard』紙の引用より
)
彼もまた、ロシア軍が前線基地を置いていたチョルノバイウカ飛行場で死亡したとされる。第8親衛諸兵科連合軍の司令官だった。しかし、ビジネスインサイダーによれば「戦死報告後に撮影された写真」があり、本当に戦死したのか議論の的になっているという。
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(写真:Telecinco / Twitter)
『ザ・サン』紙によれば、若きサフロノフ中佐(左)およびグレボフ中佐(右)もウクライナ軍によるチュフイフ市奪還で戦死した。これはウクライナ国防省の発表によるものだが、ロシアの報道機関によれば、グレボフ中佐はドンバス地方における「特別軍事作戦」で勇敢に戦死を遂げたとされ、ビジネスインサイダーの報道では死後、勲章を授与されたという。
(画像:Illia Ponomarenko、Kyiv Independent / Twitter)
ビジネスインサイダーはまた、第331親衛空挺部隊のセルゲイ・スハレフ大佐がウクライナで戦闘中に戦死したとするロシア国営テレビの発表を引用した。ツイッター・アカウントにこの写真を投稿した『Kyiv Independent』紙のイリヤ・ポノマレンコ記者によれば、スハレフ大佐は「2014年の(ドンバス戦争中に発生した)イロヴァイスク虐殺の責任者」だったという。
ビジネスインサイダーがロシアの報道機関KP-Ufaを引用したところによれば、セルゲイ・ポロフニャ大佐は第12工兵旅団の司令官として「特別軍事作戦」中に戦死したという。また、『ガーディアン』紙によると、アンドレイ・ザハロフ大佐は「キーウ郊外で起きた、ロシア軍装甲車部隊に対する待ち伏せ攻撃」で戦死した。
(写真:Twitter / Illia Ponomarenko, Kyiv Independent)
また『ニューズウィーク』紙は、海兵隊ジューコフ旅団の第810親衛独立海軍歩兵旅団を率いるアレクセイ・シャロフ大佐の戦死を報じた。オデッサの軍当局もテレグラムを通じて彼の死を公表。Ukrinformをはじめとする報道機関も事実確認を行っている。
ビジネスインサイダーによると、待避壕を地雷で攻撃され、第5機甲旅団のロケット砲部隊司令官、ドルミドントフ中佐が戦死したという。この情報は「攻撃で師団指揮官、大隊指揮官および航空機管制官の3人が戦死した」とするロシア側の発表に基づくものだ。
(写真:Russian army via Rob Lee / Twitter)
地元議員の追悼記事によると、ロシア空挺軍の司令官イーゴリ・ジャロフ中佐は「ウクライナの脱ナチス化」作戦中に戦死したとして、プーチン大統領から表彰されたという。『デイリー・メール』紙の報道によれば、ロシア国内で名高いキルジャチ陸軍学校の卒業生で、野心的な軍人だったという。死亡時の状況は公表されていない。
(写真:Rob Lee / Twitter)
『デイリー・メール』紙は「ハルキウ市における残虐な戦闘を指揮した」ロシア軍第200独立機動ライフル旅団のデニス・クリロ大佐を「排除した」とするウクライナ当局の発表を引用した。キーウの報道官は彼の旅団が「激しい戦闘によって大きな被害を出した」としている。
(写真:Eerik N Kross / Twitter)
ビジネスインサイダーがロシアの『Fontaka』紙を引用して伝えたところによると、戦車大隊の司令官ミラス・バシャコフ中佐は4月12日にサンクトペテルブルクに埋葬されたという。ウクライナ国内でどのように死亡したかについてはほとんどわかっていない。
(写真:HTC via Rob Lee / Twitter)
ほとんどの場合、ロシア当局は軍幹部の戦死を公式には認めていない。しかし、コンスタンティン・ジゼフスキー大佐の戦死については、ロシアのプスコフ州知事がインスタグラム上で追悼を行った。『デイリー・メール』紙によると、ロシア第247親衛空挺連隊司令官のジゼフスキー大佐は、キーウ近郊で戦死したという。
(写真:Mikhail Vedernikov / Instagram, Business Insider)
プスコフ州知事のインスタグラム投稿によると、ユーリ・アガルコフ中尉もコンスタンティン・ジゼフスキーとともに戦死したとされている。ビジネスインサイダーによれば、機動ライフル旅団を指揮していたという。
(写真:Mikhail Vedernikov / Instagram, Business Insider)
『デイリー・メール』紙によれば、第1親衛機動ライフル旅団のセヴァストポリ赤旗勲章連隊を指揮していたメジュエフ中佐はウクライナ東部で「おそらく」戦死したという。また「メジュエフ中佐はドンバス地方に再配備されるまで、キーウでの戦闘指揮を執っていた」とされる。彼の戦死は、ロシアのSNSユーザの追悼メッセージを引用した『タイムズ・オブ・ロンドン』紙の報道が最初だ。
(写真:ニュースサイト「East2West」による『The Mirror』紙の引用から)
『フォーリン・ポリシー』および『エコノミスト』紙の分析では、現代の戦争において将校は配下の兵士たちよりも安全な場所にいるのが常だとされている。司令官たちは通信センターから大規模な攻撃を指揮するため、通常、最前線に立つことはないのだ。そのため、ウクライナ侵攻でロシア軍が多くの軍幹部を失っていることは注目に値すると言える。
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