危機一髪をくぐり抜けて:ウクライナ・へルソン市占領で追い詰められた米国人英語教師
2022年3月にロシア軍によって占領されたウクライナ南部の都市、へルソン。この街で8ヵ月もの間、ロシアが設置した当局から身を隠し続けた米国人がいるという。
写真:@https://ideal-english.com/
その米国人とは、英国バンベリー生まれで、米国オクラホマシティで長年暮らしていた元大学講師のティモシー・モラレスだ。ロシア軍がウクライナ侵攻に踏み切ったとき、モラレスはへルソン市で英語の教師をしていたという。
モラレスは米国で英文学講師を勤め上げた後、ウクライナ侵攻以前にヘルソン市に移り住み、語学学校を開いていたのだ。しかし、米国籍を持つ彼は開戦によって危うい立場に立たされることになってしまった。
開戦初期の混乱の中でロシア軍による包囲に巻き込まれてしまったモラレスは、もはやへルソン市から脱出することができなくなっていた。
へルソン市解放後に同市中心部にある自由広場でインタビューを受けたモラレスは、「米国のパスポートを持ったまま賭けに出るわけにはゆかなかった」と述べている。
ロシア軍が検問所を設置したことで脱出はほぼ不可能になってしまったが、それでもモラレスは占領軍による統治体制が盤石なものになる前にへルソン市からの避難を試みたという。
占領初期にへルソン市北部の高速道路を通じて脱出を図ったというモラレス。しかし、遥か向こうで戦闘を繰り広げる戦車を見て逃げ道はないと悟り、引き返すしかなかったそうだ。
幸い、10歳になる娘の方は後になって占領地から安全な場所に送り出すことができたが、モラレス本人はへルソン市の開放までずっと占領下に留まることとなった。
モラレスいわく:「絶望を感じる瞬間もありましたが、いつかこの日が来るのはわかっていました」
違法行為とは無縁のモラレスだったが、米国籍であることからロシア軍に身柄を拘束される危険を感じていた。そこで、地域社会から距離をとって公の場を避けるようにしていたが、それでもロシア軍による蛮行を目の当たりにすることとなったようだ。
占領初期は、自身が借りていたアパートと前妻のアパートの間の中庭を歩くことができるほど状況は安定しており、ウクライナ寄りの立場をとる店員がいる日用品店に行くこともできたという。
しかし、9月に武装したロシア連邦保安庁(FSB)のエージェントによって危うい目に遭わされたことで恐怖を感じ、以降はへルソン市の解放までずっと息をひそめることとなった。
FSB職員に現地人だと思い込ませられるほどロシア語が達者ではなかったモラレスは、自分はへルソン市で英語を教えるティモシー・ジョセフというアイルランド人で、パスポートは失くしてしまったと説明したのだ。
「そのことで、私の世界はすっかり変わってしまいました」というモラレス。「以前は慎重なだけでしたが、以降はすっかり偏執的になってしまったんです」
FSBによる尋問が占領下の生活で一番の「ハイライト、またはどん底」だったというモラレス。うまく言い逃れることができたのは、尋問にあたったロシア人たちが「世界屈指の策士ではなかった」からに過ぎないとしている。
FSBの取り調べの後、再捜査を恐れたモラレスはそれまでのアパートを放棄、別のアパートに移ったという。
その後は家に引きこもり、映画を観たりオンラインで英語を教えたりしつつ、密告を恐れながら時を過ごしていた。結局、密告されるという不安は杞憂に終わったようだ。
へルソン市占領最後の数ヶ月間にモラレスが抱えることとなった唯一の懸念は、戦火を避けてウクライナ人住民が脱出した隣のアパートにロシア人が入居したことだった。
11月11日、ウクライナ国旗をはためかせた自動車が近所の通りを走っているのを見たモラレスは、へルソン市中心部にある自由広場で行われたお祝いに参加、住民たちと喜びを分かち合った。
占領をくぐり抜けたモラレスだが、ロシア軍が去った今へルソン市に留まるつもりはないという。
「ここでの出来事と少し距離を置きたいのです」というモラレス。へルソン市の住民たちならその気持ちも理解できるに違いない。