どうなるスリランカ?:深刻化する経済危機と政治的緊張の行方
インド亜大陸の南に浮かぶスリランカは今、1984年の独立以来最悪となる深刻な経済危機に見舞われている。その結果、首相の辞任を求めるデモ隊と警察の衝突が繰り返されるなど、重大な政治的危機に発展している。
混迷を極めるスリランカではすでに死者5人、負傷者200人あまりを記録。国防相によれば、スリランカ政府は先週、数千人の兵士を派遣し「公共財を略奪したり、人命を脅かすような行為を働いた者は射殺するよう」命じたという。デモ活動はスリランカ全土で数週間にわたって行われており、背景には政府当局のずさんな政策に対する民衆の不満があるようだ。今回は、スリランカがこのような事態に陥ってしまった原因や、人口2,200万人を抱えるこの国の行方について見てゆこう。
スリランカの現状をよりよく理解するには、ここ数十年の歴史を紐解く必要がある。1983年7月から2009年5月までスリランカでは、スリランカ軍率いる多数派のシンハラ人仏教徒とセイロン島北部および東部で暮らす少数派のタミル人との間で内戦が繰り広げられていた。
事の起こりはイギリスによる植民地化が終わった1948年にさかのぼる。スリランカが独立を勝ち取ったとき、多数派のシンハラ人および仏教徒たちは少数派のタミル人、ヒンドゥー教徒、キリスト教徒を植民地支配に協力していたとして批判、彼らを排除する形で権力を握ったのだ。
1970年代にはタミル人を差別するような法律が成立した。たとえば、タミル人学生はシンハラ人学生より高い成績を修めないと同じ大学に入れない、と言った具合だ。さらに1972年には仏教を国教化。長年、非暴力デモを行っていたタミル人たちも我慢の限界に達し、タミル・イーラム解放の虎(LTTE)を結成、武装闘争による独立国家建国を模索しはじめた。
スリランカ当局とタミル人たちの間の緊張は年を追うごとにエスカレートし続けた。 1977年にはスリランカ警察とタミル人の若者の間で衝突が発生。タミル人を標的とした暴動が各地で相次ぎ、数百人のタミル人が犠牲となったのだ。これを受けてタミル・イーラム解放の虎は過激化。内戦に突入することとなった。
スリランカ内戦は停戦を挟みながら26年間続いたが、 2009年5月19日、タミル・イーラム解放の虎の指導者、ヴェルピライ・プラバカラン(写真)の死亡が確認され終結。最後の数週間には民間人4万人を含む10万人あまりの犠牲者、数十万人の難民が発生したほか、国連によれば数千人の行方不明者を出したという。
当時の大統領だったマヒンダ・ラージャパクサは、弟のゴーターバヤ・ラージャパクサ率いるスリランカ軍がタミル人に対して残虐行為を行ったという非難を一蹴。責任の所在をはっきりさせるための国際調査を拒否した。少数派タミル人と政府の溝は最後まで埋まらなかった。
スリランカの現状にフォーカスする前に、この国を20年近く支配してきたラージャパクサ家について見ることにしよう。
2019年以来、スリランカの大統領をつとめているゴーターバヤ・ラージャパクサ。197o年代から1980年代にかけてスリランカ軍に勤務したのち、2005年から10年間にわたって国防次官を務めていた。そして現在、失政の責任を問われ、デモ隊のやり玉に挙がっている。
一方、兄のマヒンダ・ラージャパクサは2004年に首相に就任、2005年から2015年にかけて大統領を務めていた。2019年の選挙で兄が当選すると首相に復帰したものの、最近の情勢不安を受けて2022年5月9日に辞任している。
しかし、近年スリランカの統治に携わったラージャパクサ家出身者はこの2人だけではない。大統領は自身の兄、チャマル・ラージャパクサを灌漑・安全保障・内務および災害管理大臣に任命、息子のシャシーンドラ・ラージャパクサを農務大臣のポストに就けたほか、甥に青年スポーツ省を任せたのだ。
さて、内戦後の状況に話を戻そう。2010年代初頭、マヒンダ・ラージャパクサ大統領は観光業を中心とした経済発展を目指していた。しかし、大規模なインフラ計画を推し進めた結果、膨大な政府債務を生み出してしまったのだ。そして、これこそ現在の経済危機の原因だ。
スリランカに出資を行ったのは主に中国であり、これによってスリランカは大規模な計画を実現することができた。国際空港の建設に2億ドル、ハンバントタ深海港の建設に14億ドル、会議センター建設には1,550万ドルを借り入れている。また、首都のランドマークであるにもかかわらず一般公開されたことがない超高層ビル「ロータスタワー」(写真)も中国の出資で建設された建造物だ。
スリランカ経済は観光業の成功でようやく軌道に乗りつつあった。しかし2019年、国内にある複数の観光地でテロ攻撃が発生、観光業界は大打撃を受けることに。さらに、2020年に始まった新型コロナウイルスの世界的大流行がとどめを刺すことになってしまった。
2021年、スリランカ政府は有機食料生産の分野で先進国を目指すと宣言。農薬等の使用を全土で禁止して農民たちの反発を買った。しかし、深刻化する経済危機・物価高騰・食糧不足を前に、制限は解除されることになった。
ロシアのウクライナ侵攻は、スリランカにも悪影響を及ぼしている。というのも、ウクライナはロシアと並んでスリランカ産紅茶の一大輸入国だからだ。
推定510億ドル(うち10%は中国が保有)の対外債務を抱え、デフォルトの危機に直面したスリランカ政府は2022年3月、国際通貨基金(IMF)に支援を仰がざる得なくなった。大統領が「国際通貨基金との会談の末、協調する決断を下した」と発表したのだ。
演説の中で大統領は国民に対し「灯油と電気をできる限り節約する」よう呼びかけ、「困難な事態を切り抜けるため、国民一人一人が責任を果たすよう」求めた。
今日、スリランカでは経済危機による物価高騰(4月のインフレ率は30%)で深刻な物資不足に陥っている。電力供給は1日最大13時間ストップするほか、ガソリンスタンドではガソリンが不足。国立病院でも医薬品の不足のため、手術が行えない事態になっている。日常生活が完全に麻痺しているのだ。
これに対し、全国の街角でデモ隊が大統領の辞任を要求。運動の拡大と過激化を恐れた大統領は先週、非常事態を宣言、国民2,200万人に対して夜間外出禁止令を発令した。
マヒンダ・ラージャパクサ首相はすでに辞任し、弟のゴーターバヤ・ラージャパクサ大統領も判断を迫られている。しかし、経済状況が一夜にして改善することはあり得ない。事態の打開を図るには、IMFの支援のもと国家経済を全面的に見直す必要があるだろう。